神田外語の未来 第2話 エルサレム研修 分離壁を越えて見えた平和貢献の可能性 神田外語大学 グローバル・リベラルアーツ学部 2期生 五井愛渚さん

世界の「現場」で学びの原動力を獲得する 2022年度「グローバル・リベラルアーツ学部 海外スタディ・ツアー」

令和4(2022)年4月、神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部に入学した五井愛渚さんは、国際的な援助活動を通じて世界の平和に貢献できる人になることを目指しています。世界史を好んで学んできた五井さんが1年次前期の「海外スタディ・ツアー」で選んだのはエルサレムでした。イスラエルとパレスチナが対立する地を実際に訪れることで、五井さんは自分の目指す平和貢献の可能性に気付きました。五井さんのエルサレムでの体験と、そこから得た学びへの視野の広がりについて取材しました。


■ 厳しい世界で暮らす人々のために働く協力隊との出会い

五井愛渚さんは、福井県大野市で生まれ育った。海外への渡航や生活の経験はなく、世界の課題などについて意識する機会もなかったが、中学生のとき、社会科の授業で青年海外協力隊の存在を知り、五井さんは自分のなかにある何かに気付いた。

「幼い頃から周りからは正義感が強いと言われていました。小学生の頃は、障害のある子と過ごすことが多くて、男子が何かからかってくると強く言い返してました。心のどこかで『困っている人の役に立ちたい』と思う気持ちはありました。

中学校の授業で先生から発展途上国で活動する海外青年協力隊のことを教わり、『私は他の国と比べて裕福な国に住んでいるのだなぁ』と感じました。こんなに厳しい世界で暮らしている人々がいて、その人々のために活動している人がいる。なんてかっこいいんだろうと思いました」

高校は県立の進学校で学んだ五井さんだったが、世界で困っている人々のために何かをしたいという想いは大きくなっていった。両親からは卒業後に大学へ進学するのであれば、自立するために福井県外の大学で学ぶことを条件とされていた。

大学で平和学と英語を学びたい。その想いが募っていた3年生のときに、当時、開設1年目だった神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部(以下、GLA学部)の情報を母親が教えてくれた。国公立大学への進学も考えたが、最終的に自分の学びたいことが一番できるのはGLA学部だと確信して、一般選抜試験で合格し、入学を決めた。


■ さまざまな視点を学べた事前オンライン留学

GLA学部では1年次を「グローバル・チャレンジ・ターム」と位置付け、前期に海外の4カ国・地域(リトアニア、インド、マレーシア・ボルネオ、エルサレム)に2週間留学し、実体験を通じて学びの動機を高める「海外スタディ・ツアー」のプログラムを設けている。

五井さんは令和4(2022)年に入学し、GLA学部で学び始めた当初から自らの渡航先としてエルサレムを希望していた。高校時代に世界史を専攻しており、宗教的に重要な場所であるとともにパレスチナ問題にも関心があったので、自分の目で見てみたいと思っていたからだ。

エルサレムに行けることが決まり、事前研修が神田外語大学幕張キャンパス(6月19日〜23日)と福島県天栄村にある神田外語グループの国際研修施設「ブリティッシュヒルズ」(6月25日〜7月1日)で行われた。現地とつないで行ったオンライン留学で五井さんが感じたのは「さまざまな視点がある」ことだった。

「オンライン留学を通じて、イスラエルとパレスチナの両方の意見を聞くことができて、それぞれに考え方があるのだと理解できました。JICA(独立行政法人 国際協力機構)の方からは日本人という第三者の視点からの意見を聞けました。現地ではいろいろな思惑が絡んでいて、それがガザ地区での対立やエルサレムでの宗教的な対立につながっていると知ることができました。これまではまったく学べていない内容と視点だったので詳しく理解できてよかったです」

中学時代に出会った青年海外協力隊の存在。世の中の役に立ち、世界の平和に貢献したいとGLA学部の門をたたいた五井さん。世界の課題と援助の現場であるエルサレムへの出発前、改めて何を学びたいか五井さんに聞いてみた。

「どのように援助するのが最も効果的かを現地の支援機関の方から学びたいです。援助に関する学習をしていくと、援助する側の思惑とは異なる結果になってしまう事例も数多くあることが分かりました。『現地の人を助けたい』と言葉で言うことはできますが、本当はめちゃくちゃ難しいと思っています。現地で活動する方々にどういう経験をしたかを聞きたいです」

このエルサレム留学は、五井さんにとって初めての海外渡航である。これまで歴史の本で見てきた歴史的な建造物を訪れ、さらにはヨルダン川西岸地区の分離壁(※1)に描かれた世界的アーティストのバンクシーの絵も実際に見ることを楽しみにしている。

「建築物はその場にいる人たちの精神的な面が表れている場所なので、その場所で日本とは違う文化に触れてみたいですね。私は世界史が好きで学んできました。すべての物事は過去からつながっていることが多い。その過去を日本からの視点ではなく、現地の視点から知りたいと思っています」

※1.イスラエルがヨルダン川西岸地区との境界に建設している壁。総延長710キロメートル。フェンス・鉄条網・コンクリート壁などで築かれている。


■ 宗教と英語への学びに火を付けたエルサレム訪問

2022年7月15日、イスラエルのエルサレムホテルに滞在する五井さんをリモート取材した。現地到着から1週間、どのような印象を得たのだろうか?

「旧市街地の『嘆きの壁』を訪れました。世界で学んだ場所を実際に見て、触れることは、こちらに来なければできないことです。それと、同行するガイドさんが、訪れた教会が聖書のどの部分から作られたのかを解説してくれました。聖書の物語を聞きながら現場を訪れることで、高校の世界史とはまったく違う角度から学べてすごく面白かったです」

出発前、エルサレムで宗教や民族の対立を現地の視点から学びたいと五井さんは語っていた。

「エルサレムでは異なる宗教や宗派の建物が混在して建っていることに驚きました。イスラム寺院のすぐ隣にキリスト教の教会があり、起源が同じ神を信仰しているからこそ、対立だけでなく、お互いに配慮しながら暮らしている部分もあるのだと思いました」

五井さんは現地に到着してから、異国ならではの体験をした。クレジットカードが使えず、ハーブの香りが強い料理に食欲をなくし、物価の高さに驚いた。そして、ヘブライ大学では難度の高い英語での授業に四苦八苦しながらも、とにかく体験することで知識を吸収していった。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)で犠牲となった人々を追悼する国立記念館「ヤド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)」を訪れたときも、犠牲者の遺品や映像を見ることでその悲惨さを体感した(※2)。

※2.ヤド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)
   https://www.yadvashem.org

ヘブライ大学ではイスラエル人の大学生とも交流することができた。

「テラスで軽食を食べながら、お話をしました。とてもフレンドリーで、私たちのことに興味を持ってくれる学生ばかりです。私よりも少し年上の学生と話しましたが、すごく親しみやすくて、お土産を渡したらすごく喜んでくれました。とても見晴らしのよいテラスで街並みが見渡せたので、風景を見ながら日本とエルサレムの建物や文化の違いについて話をしました」

エルサレムという環境で学ぶことは、五井さんの宗教と英語を学ぶ意欲に火を付けた。

「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はもともと同じ神を信じていたけれど、その神の捉え方が違っていたことを知りました。その違いを理解するためにも、まずは聖書を読んでみたいです。3つの宗教の違いも深く知りたいので自分で調べていきたいと思います。それと英語です。英語は好きですが、こういった深い内容を理解するには全然足りていません。エルサレムでの学びは英語を学ぶモチベーションになりました」

このインタビューの翌日から海外スタディ・ツアーは後半戦に入る。エルサレムで歴史の話を中心に学んできたが、後半ではパレスチナ問題など、この地域の「今」を学ぶことになる。

「これまでイスラエル側の話がほとんどだったので、パレスチナ自治区でパレスチナ側の話を聞いて、イスラエルとパレスチナの比較ができると思います」


■ イスラエルと対照的だったパレスチナの現実

2022年9月26日、エルサレム研修を終えて帰国し、故郷の福井県大野市で夏休みを過ごした後、幕張キャンパスで後期の授業を受け始めた五井さんに話を聞くことができた。

エルサレム研修の後半ではパレスチナ自治区に入り、現地の大学生との交流が行われた。分離壁を通過し、自治区に入った途端、これまで過ごしてきたイスラエル側との風景の違いに五井さんは驚いたという。

「イスラエルは道も広くて開放的な印象でしたが、自治区は壁に囲まれていて、狭い場所に建物が立ち並んでいるのでとても窮屈な感じがしました」

交流したパレスチナの学生との話題は領土問題が中心だった。イスラエルの学生と見晴らしのよいテラスで街並みを見ながら、日本とエルサレムの建物や宗教の多様性について語り合った穏やかな時間とは対照的だと五井さんは感じた。

「パレスチナ人は領土の問題を深刻に考えていて、自分たちでは解決できないから、私たちのように外国の第三者に意見を求めるのだとガイドさんが解説してくれました。パレスチナ人は逼迫(ひっぱく)した環境を変えたいという想いが強く、自分たちの現状を知ってもらい、打開策を提示してもらえるよう、交流の場でも領土問題を話題にしていたのだと理解できました」

これまで歴史の教科書や報道で学んできたパレスチナの領土問題。実際に自治区に入り、当事者であるパレスチナの大学生と交流することで五井さんにある想いが芽生えた。

「日本にいたときは、パレスチナは遠くて、行ったこともない国で、私は第三者として傍観していました。実際に行ってみると、そこに暮らしている人々の生活を見て、意見を聞くことができる。パレスチナをもっと身近に感じて、もっと知りたい、もっと考えたい、そしてなんとかしてあげたいと思うようになりました」


■ 分離壁は精神的な交流も遮断する

出発前、五井さんは分離壁に描かれたバンクシーの絵を見たいと言っていた。実際に分離壁を目の当たりにして感じたのは、この壁による分断の深さだった。

「想像以上に、ものすごく高くて、物々しい。一番印象的だったのは、分離壁を通過するための時間です。観光客である私たちは比較的、容易に通過できますが、それでも20分ほどはかかりました。パレスチナの人々は1時間はかかるし、出られないときもあるそうです。分離壁が人の交流を遮断してしまっている。物理的だけじゃなくて、精神的な交流も遮断していると感じました」

分離壁が建設される以前、イスラム教とユダヤ教の人々の間には隣人同士としての交流があったという。だが、分離壁はその交流を遮断した。分離壁の建設開始から20年以上が経過し、イスラム教とユダヤ教が交流していた記憶が薄れていることも事態を悪化させている要因のひとつであると五井さんは理解することができた。

五井さんは、ベツレヘムのアイーダ難民キャンプの近くにある壁に描かれた絵に感銘を受けた。

「その絵には、ひいおばあちゃん、おばあちゃん、お母さん、子どもが描かれていて、『私たち4世代はずっとここに住んでいるんだ』というメッセージが書かれていました。何世代にもわたって問題が解決されていない重さが一瞬で伝わってきた。ひとつの絵とメッセージでこれだけの情報を伝えられるアートの力を改めて感じることができました」


■ 日本の援助で知った「観光」という援助の選択肢

五井さんは、平和に関する学びを深め、将来は国際協力に貢献したいと考え、GLA学部に入学した。エルサレム研修の後半では、国際援助の現場を訪れ、実際に活動する人々と交流することができた。

そのひとつがJICAの活動拠点であるヒシャム宮殿遺跡である。ウマイヤ朝時代(8世紀)の初期イスラム建築の代表的な文化遺産であるヒシャム宮殿遺跡には大浴場のモザイク床が残っている。美しい床だが、劣化を防ぐため長年、布と砂で覆われてきた。訪問者が床を見学できるよう、JICAは宮殿遺跡を守るためのシェルターを建設した。ここでの見学は五井さんにある気付きをもたらした。

「シェルター内には見学用の階段も設けられているので、とてもきれいな床をしっかりと見ることができました。国際援助というと、資金援助や医療などを思い浮かべますが、ヒシャム宮殿で『観光振興』という援助の方法があることを知りました。自分にもできる国際援助の方法があるのでは、というヒントを得られました」

国際援助に関するもうひとつのプログラムは民間の国際協力NGOであるJVC(日本国際ボランティアセンター)の現地スタッフで、ガザで実際に援助活動をしている方から話を聞く機会だった。

「印象的だったのは、現地の方と一緒に援助活動をしているという話です。JVC日本人担当者は3年ほどで任期を終えて帰ってしまいます。新しい担当者が着任してもゼロから活動を始めることになる。だから、現地に住んでいるパレスチナ人のスタッフと協力して活動する。現地の人でないと実際にその場所で何が必要かが分からない。ニーズを最もよく理解できる方法であり、とても有効な方法だと思いました。実際に援助活動をしている方から直接聞くので現実味がすごくあったし、現地で聞けたからこそ、『私にもこういうこともできるかもしれない』と考えることができました」


■ 偏った自分の思考に刺激を与えてくれた研修の日々

五井さんは出発前、海外スタディ・ツアーを通じて、「自分の凝り固まった考えを変えたい」と言っていた。自身は地方の小さな街で、大切な家族や友達に囲まれて育ってきた。GLA学部に入学した後、クラスメイトには、平和に関心の高い学生ばかりで、みんな自分の意見を堂々と発言していることに感銘を受けた。それは自分の視野がいかに狭いかを実感する時間でもあった。

「エルサレムに来て、人と意見を交わそうという意欲が強くなりました。同じ場所を訪れ、同じ風景を見ているのにみんな関心を持つことが違う。それがすごく面白くて。だから、研修以前は大学で話すことのなかったクラスメイトにも自分から話しかけて、たくさんの意見を聞けてとても充実した日々でした。自分から話しかければ、相手もリアクションしてくれる。あぁ、こうやって人と付き合えばいいのか、と分かりました」

一連の研修を通じて、五井さんが新たに始めたことがある。インスタグラムでの情報発信だ。ブリティッシュヒルズでの研修で訪れた福島県双葉町の東京電力福島第一原子力発電所事故での被災地の現状、そしてエルサレムの現地で見たパレスチナ自治区の様子などを高校時代の友人や家族に限定して発信した。

「大学に入ってもインスタグラムを始めるつもりはありませんでした。でも、被災地にしても、エルサレムにしても、現地に行くことができた自分には伝える責任がある。自分の体験を親しい人たちと共有したい。少しでも関心を持ってくれるきっかけになればいいと思って投稿しました」

エルサレム研修で、イスラエルとパレスチナの違いを目の当たりにし、その両方を見なければ現地の実態は把握できないことを実感した五井さんは、これから何を学んでいきたいと考えているのだろうか。

「まず、聖書を読みたいし、宗教についてしっかり学びたいですね。それと具体的な科目名は分かりませんが、『人の交流』についても学びたいです。分離壁で人々の交流が遮断されたことで、偏見が募ってしまった。その偏見を交流によってどれだけ緩和できるかに関心があります。自分は交流がとても大切なことだと思うので、それがどこまで通用するのか、学問としても学んでいきたいですね」

そして、3年次後期にはニューヨーク州立大学への留学が待っている。

「ニューヨークでは平和と宗教について学びたいです。GLA学部でも『平和とは何か?』について議論する機会がありますが、みんな定義が違います。アメリカでは平和についてどう考えるのか。そしてさまざまな人々と出会うことで宗教について学びたい。人々がどのように宗教を学んでいくのかに興味があります」


■ 自分に合った平和貢献とは何かを探していきたい

五井さんは、国際援助に関連する仕事に就くことを視野に入れながら、GLA学部でさまざまな視点を学び、NGOなどでもボランティアやインターンを経験して、援助の現場で働く人たちから直接、話を聞きたいと考えている。そしてエルサレム研修での何よりの収穫は国際援助の解釈も広げられたことだ。

「やはり、将来は平和に貢献できる人になりたいのが一番です。今回の研修では、JICAの支援するヒシャム宮殿遺跡に行けたことで、観光という視点での援助があることを知ることができました。貢献の方法は医療や物資での支援という私が思い込んでいたものだけではない。もっと探していけば、自分に合った貢献の方法があるかもしれない。研修を通じ、たくさんの情報を得られたことで、自分の偏った考えではたどり着けない方法があることを教えてもらえました」

世界史が好きで本のなかで学んできたエルサレムを実際に訪れることができた五井愛渚さん。目の当たりにしたのは、分離壁が人々の心までも分断しているという事実だった。交流によってその溝を埋めることは可能なのか? 自分に合った平和貢献のアプローチとは何か? 五井さんは、これから始まる神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部での学びのスタートラインに立ったのである。(了)


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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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