何かと比較される東京と大阪。ヨーロッパであれば、十分に独立した別々の国家になり得るくらいだ。日本全体が、「異文化」並立のかたちで、しかも、統合体として「日本」をなしている。
「東京」にいると、地方が見えない。特に、「まつろはぬ者」として「大阪」人が見えない。「大阪」人は言う、「東京が何やねん。一体なんぼのもんやねん」
大阪人は、まるで英国におけるスコットランド人のように、独立独歩を旨とする。「長いもん」には巻かれたくないのである。別に主流になりたいというのではない。頭を下げるのは、儲かるときだけである。実利主義、実学の世界である。では、京都人はどうか。神戸人はどうか。
関西の三都を中心に、「関西」人のホンネと、彼らが「東京」をどのように見ているか、日本の中の小さな文化比較を試みてみたい。
1937年、兵庫県生まれ。青山学院大学英文科卒。英国ウェールズ大学大学院課程(言語学)修了。英国バッキンガム大学大学院博士課程(英国史)中退。現在、桃山学院大学文学部教授。専門は、コミュニケーション人類学、特に異文化間交流史。異文化間コミュニケーション論、比較文化関係科目、等を担当。主著に『異文化コミュニケーション・ハンドブック』(共著、有斐閣)、『日本人のコミュニケーション』(共著、桐原書店)、『多文化共生社会への展望』(共著、日本評論社)、“ Karesansui”(翻訳、Tuttle)、「文化の生成過程1・2」(『社会学論集』、桃山学院大学)、「日本文化の安定と変化」(『国際文化論集』、桃山学院大学)など。