9月11日の米国でのテロ、それに対するアルカイダとタリバンへの国際的報復。 世界は、9・11を契機に大きく転換しようとしています。文明の衝突なのか犯罪なのか、何がテロで何が正義か、グローバリゼーションとは一体何かなど、次から次へと根本的な疑問が浮かび上がってきています。そうした中で、とりわけ日本人にとって「空白」となっているのは、イスラームの宗教、文化、人々についての基本的な理解です。本講演では、イスラームについての基本知識から、原理主義、その世界観、テロ事件の背景などについて幅広くお話いただき、テロ後の国際社会のありかたについて考えます。
東京 大学教養学部卒業後、アジア経済研究所入所。イラクをはじめとする中東アジアにおける社会運動、政治的安定性に関連する研究に従事、現在に至る。専門分野はイラクの政治。近著に『民族主義とイスラーム』研究双書、「なし崩し」経済制裁解除を目指すイラク」福田安志編『原油価格変動下の湾岸産油国情勢』トピックリポート等がある 。
当研究所主催の第21回キャンパス・レクチャー・シリーズ「9・11テロと世界:イスラーム、そして原理主義とは何か――イスラーム運動が過激化する原因」(協力:日本貿易振興会アジア経済研究所)が、12月3日(月)に神田外語大学ミレニアム・ハウスにて行われた。
9月11日の米国でのテロ、それに対するアルカイダとタリバンへの国際的報復。「9・11」を契機に世界が大きく転換しようとする中で、今回の一連の出来事は文明の衝突なのか、何がテロで何が正義か、グローバリゼーションとは一体何かなど、次から次へと根本的な疑問が浮かび上がってきている。そうした中で、とりわけ日本人にとって「空白」となっているのは、イスラームの宗教文化や人々についての基本的な理解だと言えるが、講師の酒井啓子氏(アジア経済研究所 地域研究第2部副主任研究員、イラク政治)は、講演を通じて、イスラームについての基本知識から、原理主義、その世界観、テロ事件の背景、テロ後の国際社会のありかたなどについて、山積する疑問を非常にわかりやすく解きほぐしていった。
イスラーム人口は世界の約5分の1を占めると聞けば、その中心地として中東諸国をイメージする者も多いだろう。だが、最も人口の多いイスラーム国の上位四カ国は南・東南アジアにある。酒井氏は、現在戦闘区域となっているアフガニスタンが、いかにしてイスラーム人口のより少ない中東から、しかも少数過激派であるタリバンを呼び寄せる結果になったかという歴史的経緯をまず再確認すべきであると指摘した。
そもそもイスラーム原理主義という言葉はイスラーム圏には存在せず、自称する人々もいないが、原理主義には三つの側面があるという。第一はパレスチナ問題に代表されるような、「地域紛争に宗教的色彩が強くなったもの」である。当初は地域紛争的であったものが、1980年代からのパレスチナ人による抵抗運動(インティファーダ)の開始によって、宗教対立的な色彩が強まり、原理主義派の人々に大きな勢力基盤を与えている。第二は、ソ連軍撤退後のアフガニスタンで、長い内紛を終結させたタリバンにみる「社会規範としての宗教」である。これは、モラル建て直しのため戒律の遵守を強化するのみならず、難民の教育や寄付による経済の活性化などをも行うので、内戦や政治混乱下にある地域や、政府を持たないパレスチナのような民族に対して絶大な影響力をもつ。そして、第三は、共同体建設論理として、イスラーム経典を憲法として法体系を発展させる「宗教イデオロギーの精緻化」である。
この中では、第三の側面がイスラーム教徒にとっても諸刃の剣となる。すなわち、第一から第三までの側面が一体化して機能した場合は、イラン革命のようになるが、それぞれが別個に機能した場合、例えば第三のみが突出すると、現実から遊離した根無し草的な展開になりうる。今回のテロ事件には、法体系化のプロセスですでに解釈が多様化し、西洋化・近代化が進んできたイスラーム法体系を、原点である古代・中世のそれに戻そうという無理があるばかりでなく、サウジアラビア出身のビン・ラーディンがまったく無関係な地に理想王国を打ち立てようとしていたことも見逃せない。特に、彼の一派には欧米生活の経験者が多く、後からイスラーム教を学んだり、欧米滞在中に差別や疎外感を感じるなどして、かえって極端化したのではないかとも推測される。こうした、いわば特異なケースが積み重なったことによって、まさに今回のような惨劇が起こったといえよう。
こうしてみると、テロ事件に携わったのはイスラーム原理主義の中でもごく少数かつ極端な一派であるとわかる。だが、これらの人々に対してアメリカが即軍事行動に出たことで、いくつかの深刻なひずみがもたらされたと酒井氏は言う。イスラーム教徒は、その他の 主要な諸宗教と同じく、大半の信者はいわゆる「普通の信者」であり、その一部のみが儀礼を熱心に行う「熱心な信者」である。この後者のうち、それだけでは満足せず、積極的に宗教活動に参加し、そのうちに政治活動にも関与してゆく人々がいる。これが「原理主義者」と呼ばれる人々である。さらに、原理主義の中でも危険を冒して非合法的政治活動に参加する人々はごく一部であるし、テロ行為にまで走るのは全体のごくわずかに過ぎない。しかし、今回の事件以来、「原理主義」イコール「テロリスト」という短絡的図式が広まり、これを機に他所でも報復行為を肯定する土台が築かれつつある。また実際に、それを口実として、マレーシアでの野党弾圧やイランでの保 守派再台頭の動きなどもみられ、今後、穏健派イスラームへの不当な弾圧と民主化の後退も懸念されている。
以上の講演は、イスラームに関する我々の知識の空白を補い、アメリカのメディア報道を相対化して考えるためにも有意義なものであった。質疑応答でも、イスラーム全般としては親米感情を持っている人々の方がはるかに多いことや、西欧(キリスト教圏)とイスラーム圏の格差よりも、イスラーム諸国間の格差の方がより深刻であることなどが指摘され、最後に酒井氏は、もう一度、常に存在するゆるやかなイスラーム的ネットワークの上に、ビン・ラーディンに代表される少数過激派がたまたま便乗したかたちで起きた今回の事件の特殊性と、これを文明の衝突と考えるべきでないこと、さらに確たる外交政策をもたないアメリカの問題点を指摘して講演を締めくくった。