近年、日本仏教への関心は、日本よりもむしろアメリカの大学で高まっている。アメリカ人が主に関心を示すのは、仏教の時間や自然、自我に関する見方であり、文学や美術、武術、大衆芸術における仏教の影響である。西洋では、仏教の理論や実践は心理学や環境保全主義にも近接するものと捉えられている。他方、社会的差別や帝国主義に果たした仏教の歴史的役割などには批判的でもある。西洋の人々にとって、日本の仏教はいったいどのような影響を与えてきているの だろうか。
日本の宗教、特に禅仏教を研究。アジア学研究所所長、学術誌「ジャパン・スタディ?ズ・レヴュ?」編集長を兼任。主著に、道元とハイデガ?の時間に関わる実存的・存在論的考察、日本の伝統的なるものとポストモダン的要素の分析、禅公案の歴史的研究など。毎夏来日して研究。同大学は神田外語大学の国際交換留学提携校。
第23回講演会では、当大学の国際交換留学提携校の一つであるフロリダ国際大学から日本仏教研究家のスティーヴン・ハイン氏を迎え、アメリカ合衆国を中心とした西欧世界における禅仏教の浸透過程と影響力について、報告と議論が英語で行なわれた。氏は禅仏教、特に道元(1200?53)と曹洞宗に造詣が深いが、今回は単なる比較文化論や思想史に留まらず、近代の仏教が19世紀の文学家・ 芸術家や20世紀の日系移民によって欧米へ進出する具体的な経緯や、現代アメリカにおける禅ブームとその実践・大衆化など、仏教の担い手となる人々に主眼をおくことによって、ひとつの思想からみた生きた社会像を聴き手たちに再現してみせた。我々にとっての「自文化」が「異文化」のレンズを通じてどのように捉えられているかを知るとともに、「自文化」のレンズを通じて 「異文化」の実態をもつかめる点で、非常に興味深い内容であったといえる。
氏によれば、アメリカでは1970年代より主に禅宗などの仏教が人気上昇し、急速に浸透しているという。仏教はマルコ・ポーロやフランシスコ・ザビエルなどの歴史的人物の時代からたびたび西洋世界にも紹介されてはいたが、抜きがたくしみついた異民族蔑視の影響を受け、より劣る蛮族文化とみなされていた。またザビエルの時代以降は植民地支配という事情も絡んで、キリスト教への改宗の障害をのぞくために日本固有の宗教をいっそう批判する風潮が高まるった。だが19世紀の文芸運動の頃を境として、仏教はそれまでの時代のようにキリスト教より劣位の宗教としてではなく、優れた哲学と宗教の融合体として次第に欧米社会で評価されるようになっていく。現代アメリカが仏教理解を深める直接のきっかけとなったのは、21才にして渡米したD.T.Suzuki(鈴木大拙)などの在米仏教家が多数の著書を発表したり、コロンビア大学などで教鞭をとった事による。英訳本でなく、こうした日系移民や教師といった生身の人間から直接学ぶ機会が増すにつれ、仏教研究は急速に広まっていった。そして現在では、大学などの専門機関での研究という古典的なスタイルのみではなく(Alan Wattsによる「古典的禅Classical Zen」)、むしろ日系移民による禅センターでの教育、ヨガ・リラクセーションなどの実践(「壇の禅Square Zen」)、そして文学・詩・音楽・絵画などの創作活動への応用(「非伝統の禅Beat Zen」)として広く親しまれているのである(例えばジャズピアニストのビル・ エヴァンス、詩人のダイアン・エイカーマン、劇作家のサミュエル・ベケットなど)。さらに最近は、戦争批判などの社会思想や、森羅万象の全体観に共鳴する一部の南米文学作品(ホセ・ヨアン・タブラダなど)にも反映されている。
ひるがえって、なぜ現代日本では禅その他の仏教に対する興味が非常に薄いのかと考えると、日本の仏教は「葬式仏教Funeral Buddhism」 すなわち特定の儀礼時のみにあらわれる形骸化された思想だからであるといえる。若い世代が研究対象として選ぶ比率の低さはもちろんの事、いわゆる仏事以外では日常の実践でも文芸運動でもほとんど皆無に等しい。しかし、フロアからもコメントや質疑が集中したように、仏教的理念と実践は日本人の日常的思考や行動の中に深く根づいており、あまりにも常識化したため見えにくくなっているだけで、形骸化したと言いきってしまうのは少々性急な感もある。この点については、より詳細で長期的な参与観察と分析を続けなければならない。また、日本人にとって自国宗教である仏教と同様に、アメリカ人はキリスト教その他の宗教行事にはどれほど積極的に参加しているのかと問えば、研究活動などのためより深く内部へ入るごく一部の人々をのぞき、宗教離れが進みつつあるが、他方で原理主義者も少なくない。
新興宗教などの組織と無関心派との両極端に分化しているのは現代の仏教にもみられる現象である。こうした世界的動向も視座に入れて分析を続けてゆくことが、氏と我々双方にとっての今後の研究課題と言えるだろう。