私は20年以上の間、ジャーナリストとして紛争地や戦争の現場を歩いてきました。いつも疑問に思うのは、「なぜ人は憎しみあうのか」ということです。誰しも平和に生きたいと願っているはずなのに、人が人を殺すような争い事は絶えないのです。なぜなのでしょうか?
この世界には民族、宗教、貧困、思想・信条など多くの対立の原因があることは理解できます。しかし、それにしても、今まで仲良く暮らしていた隣人同士が殺し合いを始めたり、宗教の名において無差別テロが行われたり、そのような現場に立ち会えば立ち会うほど、私の疑問は深まるばかりです。
なぜ人は人を殺すのか?
いったい、このような世界の現実を前に私たちにできることはあるのでしょうか?
対テロ戦争の舞台となったアフガニスタンや20万人以上の犠牲者を出して独立を達成した東ティモールなどの取材体験をもとにしながら、戦争や国際貢献のあり方について考えていき たいと思います。
1953年兵庫県出身。ジャーナリスト。アジアプレス・インターナショナル代表。
日系アメリカ人、インドシナ難民、アフガニスタン内戦、エチオピア飢餓民、台湾人元日本兵、カンボジア紛争、ビルマの少数民族問題、タイのエイズ問題、東ティモール独立闘争など、おもにアジア・アフリカを中心に第三世界の問題を取材し、新聞、雑誌、テレビなどで発表。
1987年10月、報道規制の厳しいアジア諸国のジャーナリストたちのネットワークであるアジアプレス・インターナショナル を設立。90年より、小型ビデオを使うビデオ・ジャーナリズム(VJ)の手法でニュース、ドキュメンタリー作品の制作を始める。
著書に『沈黙と微笑』、『粋と絆』、『ビデオジャーナリズム入門』,『メディアが変えるアジア』(編著)など。
その他、「チベットに響く歌声」(NHK「真夜中の王国」)、「嘆きの島・東ティモール」(NHK「ETV特集」)、「イスラムに生きる」(NHK総合)、 「ミャンマー辺境戦いの日々」(東京MXテ レビ)、「麻薬王クンサー」、「チベット・最後の楽士たち」、「天山にカザフ秘史を刻む」(朝日ニュースター)など、1990年よりNHKを中心に200本以上のビデオ作品を制作、プロデュース。
現在、東京大学、目白大学、早稲田大学非常勤講師。2003年1月からは、ブロードバンド対応の新しいウェブ・マガジン「アジアプレス・ネットワー日本語、英語)編集長。
独立系ジャーナリストの会社、アジア・プレス・インターナショナル(http://www.asiapress.org)の代表、野中章弘氏をお招きした講演会には、神田外大内外の学生・関係者、150名以上が参加し、立ち見がでるほどの盛況ぶりであった。約二十年にわたり、ジャーナリストとして世界における様々な紛争の現場を実際にみてきた経験から、今、世界で何が起こっているのか、なぜ紛争が起きるのか、紛争に巻き込まれた人々はどのような体験をしているのか、日本に何が求められているのか、日本のマスメディアの問題等も含めて、様々な問題が提起された。以下、参加者からの感想を参考にして、まとめてみた。
講演会は、まず、国内外の報道番組でも流されたアジアプレスのビデオ映像からはじまった。未だに続くアフガニスタンの難民問題や米軍の「誤爆」による被害者、東ティモールの独立までの血なまぐさい闘争と泣き叫ぶ民衆、北朝鮮における飢餓と市場で食べ物のカスを拾って歩くコッチェビ(浮浪児)、パレスチナ問題と沈黙の壁など、様々な、衝撃的な人間のストーリーが映像で紹介された。その後、アフガンの故マスード将軍との出会いなど、野中氏の具体的な体験とともに、それらを通じて幾つかのメッセージが伝えられた。
その一つは、世界の出来事はなんらかの形で自分と関係しているということを自覚すること。自分の周りが「平和」だと思っても、「今この瞬間にも世界のどこかで罪のない人が死んでいる」ということを自覚し、それが自分と全く関係ないことではないということに気づくこと。例えば、東ティモール問題。「東ティモールの独立紛争のことも私たち日本人には関係がないことはない。関係がないと思うのは、その原因がみえてないから」という野中氏の言葉が印象に残った参加者がいた。1975年に東ティモールがインドネシアからの独立を宣言したが、日本を含め、国連などは積極的に支援せず、2002年の独立までの間、多くの人々が犠牲になってきたことをアジアプレスも伝えてきた。無論、インドネシア政府やその他の大国などに加え、冷戦という状況や左翼の東ティモール独立革命戦線の方法など、様々な要因が民衆を惨事に巻き込んできたが、その構図のなかに日本があることを改めて考える機会となったであろう。日本との接点を知ることによって、はじめて「国際貢献」というものが考えられる。同様の視点で、北朝鮮の貧しさや難民の問題も話題にあがった。
もう一つのメッセージは、物事には様々な見方があるということを忘れないようにという点である。極めて単純であるが、忘れられがちな点である。「事実は一つだが、真実はたくさんある」という言葉がある参加者の印象に残っている。一面的な見方や安易な二元論思考に陥らず、常に多面的、多元的に考えるよう努力すること。例えば、9.11テロ、アフガンに関する日本の報道で、米軍の「誤爆」という言葉があるが、果たして「誤爆」で済むものなのか。9.11テロの犠牲者は当然ながら多くの補償を受けているが、米軍の「誤爆」によって被害を受けながら何の補償もない貧しいアフガン人の現状をアジアプレスは伝えていた。また、「人間は平等であり、人間の命は地球より重い」といわれるが、アメリカ人とアフガン人の命は不平等に扱われているのが現状である。9.11テロのアメリカ人の犠牲者に関する詳細な報道に比べ、アフガン人の犠牲者の扱いには明らかに差がある。後者の死者の数はどのくらい正確に伝えられているのか。現実では全ての人々を平等に扱うことが難しいからこそ、日本人は自分の立場に安住せず、異なる立場からも物事をみて、理想に向けて不断の努力が必要であるというメッセージを感じ取った参加者も多かったであろう。
このように世界や身の回りの問題について知るために、マスメディア、ジャーナリズムは重要な役割を果たしている。問題は何が、どのように伝えられるかである。情報の洪水と呼ばれるような状況のなか、情報の量より質がますます問われている。世の中には、伝えられていないことが多くあり、意図的に伝えられていないことも多くあることについて改めて考える機会を得られたであろう。その関連で、例えば、北朝鮮の飢餓・難民問題について日本の大手マスコミの「自主規制」の問題が指摘された。そのような問題があるからこそ、情報の発信者のみならず、受信者も厳しい目で情報を見極め、能動的に取り組まなければならないことに気づいたであろう。
ある学生から、今回の講演会がとても刺激的であったとともに、「私たちが抱えている問題は、非常に悲しく、難しいものだということを改めて考えさせらました」という感想が寄せられた。それに気づくことによって、はじめて「国際貢献」について考えられるのではないだろうか。今回がそのきっかけの一つになったのであれば幸いである。