異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ

第26回
異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ

「日中相互理解はなぜ深まらないのか
-日中国交正常化30周年によせて

講師
花澤聖子(神田外語大学助教授)
日時
2002年12月13日(金) 18:00~20:00 開場(17:30~)
場所
神田外語大学(千葉・幕張)
4号館101教室
会場整理費
300円(当日払い)
講師からのメッセージ

この30年間、日中間の経済的関係は飛躍的に深まり、人的往来も激増したことは確かである。しかし昨今の日中共同世論調査によると、中国では「日本を嫌う人」が増え、日本では「中国が好きな人」が減っている。「戦争など過去の問題についての償い」に関する認識のずれは大きい。交流が増すほどに摩擦が大きくなるのは実に悲劇的だが、これが現実である。なぜこのような現象が起きるのか、どうすればこの深い社会的文化的溝を埋めることができるのか、考えてみたいと思う。

講師紹介

東京都出身。東京外国語大学大学院地域研究研究科アジア・太平洋コース修了。1992年から1995年まで外交官夫人として北京に滞在。高級幹部から一般庶民に至るまで多くの中国人と交流を深める。現在、本学助教授。著書『中国人と気分よくつきあう方法』(講談社)、共著書『最新実用中国語会話』(鳳書房)など。

講演会報告
(奥島美夏、異文化コミュニケーション研究所)

講師は1998年から本学中国語学科で教鞭をとっており、このたびは、外交官夫人として北京に滞在した92-95年の経験をもとに『中国人と気分よくつきあう方法――外交官夫人が見た中国』(講談社、2002)を刊行した。本講演では、日中国交正常化から今日にいたる30年間で飛躍的進展を遂げた経済関係や人的交流と、その一方で、省庁やマスコミの世論調査からうかびあがる両国の相互理解や親近感の低減をとりあげ、こうしたギャップを外交政策や教育といった制度的側面からではなく、誰もが体験しうる日常生活レベルの文化・社会面からみなおそうとする。

例えば、日本における中国への親近感の推移(1978年~2001年の朝日新聞調査)をみると、1978年の日中平和友好条約の締結時からおよそ10年の間は「親しみを感じる」「どちらかというと親しみをかんじる」が全体の75-80パーセントも占めていた。しかし1989年の天安門事件をきっかけとして、この二項目の比率は次第に後退して90年代には半数を割り、特に「親しみを感じる」は2001年現在で全体のわずか15パーセントほどとなっている。もっともこの比率は、世界各国に対する日本人の意識と比べてひどく劣るというほどではない。外交に関する世論調査(総理府2001年10月実施)によれば、アメリカ合衆国には例外的に75パーセント以上の親近感が集まっていることをのぞけば、EU・韓国・中国へのそれは約47~57パーセントと、似たりよったりの数値を示しているからだ。

一方、中国においても「日本が嫌い」という回答者がふえている。これには、「日本は中国侵略を反省していない」という世論の高まりや、日本の政治・外交における流れや特定の事件が影響しているようだ。これら以外にも、江沢民主席以降にみる中国には、教科書に戦時中の侵略に関する記述がかつての3倍に増量される、など政策の変化もみられ、やはり親近感の推移を大きく左右している。

とはいえ、日中相互理解が進展しない理由は、こうした情勢だけでなく、日々の習慣や生活感覚における相違にも根ざしていると思われる。日中の社会を取り巻く環境を比較すると、中国には自然の厳しさ、相次ぐ異民族の侵入と政権交代、人的格差など、さまざまな面で日本よりもはるかに過酷な現実がある。そうした生活条件下の社会では、市場での買い物ひとつにしても、価格相場を知ったうえでいちいち値段の交渉や重量・品質の確認もしなければ、だまされても文句はいえず、そのために日頃から「これいくらだった?どこで買ったの?」と情報収集に努めるのが当たり前となる。そもそも定価をつけず、客の目の前で取ってつけたように値引きし、他人の持ち物の値段を聞きまわるなど、どれも失礼千万、と考えがちな日本人には一見驚くことばかりだ。

しかし、だからといって人間関係そのものが荒廃しているということではない。花澤氏は、日本人が「親しき仲にも礼儀あり」を徳とするのに対し、中国人は「内」と「外」を区別するのだと指摘する。中国でこの「外」の人、つまり見知らぬ人が仮に怪我をして路上に倒れていても、周辺の人々は取り巻いてただただ見守っているだけのことが多い。彼らにとっては、うかつに親切心を出して警察や救急車を呼んだり病院に連れて行ったりすれば、逆に加害者と間違われて訴えられたり、本人は治療費が払えないために肩代わりせざるを得なくなってしまうから、こうした場合は関わり合いにならないのが常識なのである。また、恨みに対する報復行為も非常に恐れられているため、スリなどの犯行現場を目にしても盗られている被害者にすぐその場で知らせたりはしない。反面、こうした人々も「内」すなわち知己(友達)になってしまえば関係は180度逆転し、かなり無理な頼み事をしたり、非常識な親切をされたりするようなつきあいへと変わる。この、ほとんど無礼講のような友人関係では、日本なら相当な大親友でなければ振舞うのがためらわれるほど何でもありで、中国人にとっての「内」と「外」が如何に極端に違うかを知っていなければ辟易する状態であろう。

このような対人関係が結ぶ社会においては、美徳とされる行動にもかなり相違がある。日本人が「和」を重んじ目上を尊ぶ縦型社会なら、中国人は「面子」を重んじ個 々人間の横のつながり、つまり関係社会を形成しているといえる。例えば日本では、会社における地位・年齢の序列関係はもちろんのこと、家庭の使用人と雇用者、学校の師弟なども概して上下関係ととらえられ、下の者が目上を立てるのが典型的なあり方である。だが中国では、そのような関係が必ずしも上下関係とはみなされず、部下は上司に遠慮なくものを言い、上司は配下に気を遣って思い通りの采配がふるえるようにはかるという。しかし、人と人との間に全く垣根がないのではなく、要は一個人を中心として網の目状に広がるネットワークにおいて、誰がどの場面で発言権を持つのかが重要なのだ。こうした人間関係の全体を把握し、キーパーソンたちを通じて諸所の便宜が図ることで、社会はうまく回転しているのである。

したがって、中国と日本が友好的関係を深めようとするときも、中国側には国家の枠組みよりもこの「人民」を重視する政治文化があるために、摩擦が生じることになる。インフラ整備などが中心の日本の中国に対するODA活動が、「(日本)政府は中国ばかり見て『人民』を見ていない」と批判されるのは、こうした援助資金の投入先の大部分が都市部・沿海部を対象とするものであり、内陸の貧農村や山間地などもっとも底辺層にあたる人々には恩恵がほとんどないためである。最近では日本でも「顔の見える援助」を心がけようという動きが高まりつつあるものの、中国との実りある交流を確実に深めてゆくためには今一歩すすめて、現地の社会と文化に踏み込んだ政策提言が必要であり、これからの日本政府の課題となるものであるといえよう。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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