土曜日の夜、高田馬場界隈をぶらぶらするとビルマ(現ミャンマー)人に出くわすだろう。この周辺にはビルマ料理店、ビルマ人向けカラオケ屋やコンビニが軒を連ね、母国民主化に向けての政治活動、僧侶を招いての宗教行事、雑誌刊行や図書館設立などの文化活動もさかんである。彼らはどんな事情で来日し、どのように暮らしているのだろうか。講師の田辺寿夫氏とソウウィン氏は在日外国人社会の一例として、ビルマ人コミュニティ内部と送り出し国側の事情について貴重な情報を紹介した。
自らも在日ビルマ人であるソウウィン氏は、創刊10年を迎えたビルマ語月刊誌『エラワン』の編集長を務める。内容は母国内外の情勢から、在日外国人の状況や教育・医療・社会福祉などの生活情報、そして在日ビルマ人コミュニティの動向までと幅広く、発行部数は三千部を越える。全国6千人弱(2003)の在日ビルマ人の2人に1人が読んでいることになる。他にもビルマ語メディアは数多く、BBC、VOA、DVB(ノルウェー発信の「民主ビルマの声」)、RFA(米国発信の「ラジオ・フリーアジア」)などの短波国際放送などを文字化し、軍事政権下の母国では報道されない民主化勢力の動向を紹介する週刊誌『Voice of Burma(誌名のみ英語)』(1995年創刊、平均部数700部)や、在日ビルマ人のための図書館活動から生まれた月刊同人誌『アハーラ』(パーリ語源のビルマ語で「栄養」の意。2001年創刊)などがある。さらに、 在日カチン族(ビルマの少数民族)キリスト教徒の月刊誌『MC Communication Bulletin』(2000年創刊。MC=Myanmar Christian)のような少数民族対象のものもある。詩集や漫画を出版した個人やグループも少なくない。これらの出版物は高田馬場や新大久保周辺のビルマ人向けコンビニで手に入るので、休日(「ヤスミ」という日本語をそのまま使う)にビルマ料理店やカラオケ店で雑誌を繰り、故国の話や情報交換に興じるのがビルマ人たちの楽しみとなっている。
独立後も内紛が続き軍事政権によって厳しい言論統制がしかれているビルマでは、知識階層を含む多くの人口が難民や出稼ぎ労働者として国外へ流出した。彼らの多くは現政権が採用した「ミャンマー」という国名も好まず、昔ながらの「ビルマ」を使う。日本のビルマ人が他の外国人層に比べて相対的に大卒者が多く、活字に飢えてメディアを熱心に求める理由はここにある。先のアハーラ同人たちは、軍事政権の迫害を逃れて外国に住む著名な作家や詩人の作品を日本で出版する活動も行っているし、母国の民主化をめざすNLD・LA(国民民主連盟・解放地域)日本支部、ビルマ民主化同盟(LDB)、ビルマ民主化行動グループ(BDA)などの政治組織もそれぞれ機関誌を発行している。ただし、これらは母国政府にとっての「反政府的」出版物であるので、著者・出版者が帰国したり、読者が出版物を持ち帰ると、「反政府活動」の嫌疑で尋問・投獄される危険もある。
実際のところ、母国では近年民主化に逆行する動きが強まっている。2003年5月には、アウンサンスーチーや国民民主連盟(NLD)党員を政府系団体が計画的に襲撃し(ディベーイン事件)、多くの死傷者を出した上、それ以後NLDは活動を封じられた。2004年10月には、軍事政権の中では比較的「穏健派」で民主化勢力とも協調路線をとっていたキンニュン首相も更迭された。こうした情勢により在日ビルマ人は帰るに帰れない状態が続いている。多くの人々は来日時に旅券や査証手配でブローカーに多額の手数料を払っているため、働いて借金を返済しなければならない。だが日本では不法在留者などの取り締まりが近年強化され、多くのビルマ人が摘発された。難民認定を申請するビルマ人も多いが、欧米諸国に比べて日本の難民認定は厳しく認定者数も極端に少ない。このような「帰るも地獄、居るも地獄」の現状の中で、ビルマ人たちはたくましく生き延び、政治運動や文筆活動にいっそう情熱を傾けているのである。