日本のHIV感染症は、静かに、確実に社会に浸透し始めています。日本でHIVに感染している人の多くは自分が感染していることをまだ知らずに過ごしています。HIV感染症とはどのような病気であるのか、どうしたら防げるのか、日本の社会はどのようにHIVと取り組んでいるのか、わたしたちは何をしたら良いのか、などについてご紹介いたします。自分と自分が大切なひとの健康と未来を守るために考える機会としていただければ、と思います。
内科医。筑波大学卒。国立国際医療センター エイズ治療・研究開発センター勤務。1998年よりトマス・ジェファソン大学、コーネル大学を経て現職。 著書に『エイズ感染爆発とsafe sexについて話します』『遥か彼方で働くひとよ』(朝日出版社)がある。糸井重里氏主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」に「お医者さんと患者さん。」を連載中。
世界のHIV感染(以下「エイズ」とする)者は2005年末で約4,030万人といわれ、その過半数はサハラ砂漠以南のアフリカ(2,580万人)、第2位が南・東南アジア(740万人)が占めている(国連エイズ合同計画統計による)。特に近年は中国やインドをはじめとするアジア地域の感染拡大が著しく、2010年までに世界最大のエイズ感染地域になると予想されている。先進諸国がエイズ予防・撲滅で患者数の低減に成功しているなか、日本では依然として増加傾向が続いており、2006年3月末で11,251人に達した。
このようにエイズが静かに、確実に日本社会に浸透しはじめた原因は、エイズに関する正確な基礎知識と予防努力がまだまだ浸透していないという点にある。学校教育の現場における性教育の曖昧さだけでなく、社会全体の認識が低迷しており、メディアの対応も1992年の「ストップエイズキャンペーン」以降はすっかり下火である。エイズ予防に欠かせないコンドーム使用や血液検査は徹底せず、クラミジアや淋病、梅毒など他の性感染症も急増中である。こうした現状のなかで、講師の本田医師はエイズ治療やカウンセリングに専門的に取り組み、糸井重里氏主宰のインターネット新聞「ほぼ日刊イトイ新聞」への「お医者さんと患者さん」の連載や、教育現場などでの講演を通じて、エイズ予防にむけた啓発にも精力的に取り組んでいる。
本田医師によると、治療現場にみる最近の著しい変化は2点あるという。第1は、以前から多かった男性同性愛・両性愛者に加えて女性患者も増えており、しかもその女性の大半は「ごくごく普通の女性」、すなわち、ごく一般的な生活を送る女子大生や主婦、会社員などであるという点である。配偶者や特定の恋人などとの長期的なつきあいからも感染する女性が増えているという事実は、それだけエイズが社会に浸透しはじめたことを意味している。
第2は、患者を支える社会制度が整い始め、新薬開発のおかげで治療法が劇的に進歩し、きちんと治療をしていれば患者が死に至るケースは激減した点である。とは言え、新薬は高価なうえに定期的で確実な服用が必須であるので、患者や周囲の精神的・社会経済的な準備ができてから始めることが不可欠である。先進諸国の場合、医療福祉制度を活用すれば経費のかなりの部分が公的負担でカバーされるが、それでも患者一人当たりの負担は大きく、社会の負担も膨大になる。日本の場合、全額自己負担すると月20万円ほどの負担となるが、健康保険があれば3割負担となるので6万円、さらに居住する自治体から身体障害者手帳の交付を受ければ5~6千円の負担で済む。その点は患者への支援が進んでいると言えるが、他方、これは経費の大半を社会が負担しているという意味でもあり、将来もエイズ患者が増加の一途をたどるとすれば、日本の福祉制度は破綻しかねない。
本田医師の講演は、本学でエイズ防止をめざす学生グループ「KUIS BATON PROJECT」の希望から実現したものである。
エイズ拡大を食い止める最短の道は、「ごくごく普通の若者たち」の一人一人がエイズ防止の当事者としての自覚を持ち、確かな知識を蓄え、コンドームを確実に使用し、定期的にエイズ健診(各地の保健所で無料で実施)を受け、友人にも呼びかけていくこと以外にない。