異文化を横断する小説ってどのように書き上げるのだろうか? 観察したことや経験したことを集める初期段階から小説として完成させるまでの道程はどういうものなのだろう? 作家は経験をどのようにして物語に結実させるのか? それが二つの言語にまたがっているとしたら? どうしたら作家は自分の文化とは別の文化を持った登場人物を生み出すことができるのか? 異文化間小説への旅にみなさんをご招待したいと思います。どうぞお出かけください!などについてご紹介いたします。自分と自分が大切なひとの健康と未来を守るために考える機会としていただければ、と思います。
ホリー・トムソン氏は大学その他の学校や病院にてクリエイティブ・ライティング(創作)を教えた経験を持ち、現在は横浜市立大学の講師として、創作やアメリカ文化を教えている。彼女の処女作である小説『Ash』 (Stone Bridge Press, 2001)は鹿児島と京都を舞台にしているが、日本、アジア、および異文化間の諸問題を学ぶ上で有益な教材として高校や大学で高く評価されている。米国マサチューセッツ州で生まれ、日本滞在歴は12年。Society of Children's Book Writers and Illustrators (SCBWI) 東京支部の地域アドバイザーも務めている。
ホリー・トムソン氏は「多文化間小説 Intercultural Novel」という現代的ジャンルで著名になった作家であり、日本各地の大学や各種機関で創作(クリエイティブ・ライティング)も教えてきた。彼女の処女作Ash(『灰』、Stone Bridge Press, 2001)は、彼女自身や家族・友人の実体験と、長年の海外生活で出会ったさまざまな風景から着想を得たフィクションとが織りなす繊細で美しい物語だ。
少女時代を過ごした日本で親友・ミエを事故で失い、助けられなかった自分を責め続けるケイトリンは、15年後に英語教師として日本へ戻ってくる。葛藤と向きあおうとしながら、他方では重圧から逃れるために自分にも周囲にも嘘をつき続ける彼女の将来は、赴任地である鹿児島県桜島に降る火山灰のように暗澹としてみえたが、そこで彼女は日本人とアメリカ人の両親をもつ少女・ナオミと出会う。多感な思春期を迎えて二つのアイデンティティの間で戸惑い、理解者を求めるナオミとともに、ケイトリンは死者の魂が年に一度帰郷するといわれるお盆祭りを観に京都へ向かう・・・主題は人間の魂の彷徨と再生という普遍的なものであるが、それが読者の共感を呼んだばかりでなく、背景描写として緻密に書き込まれた鹿児島と京都の風物詩や日常生活が日本や文化間摩擦などの諸問題を知るうえでも有益な資料として高く評価されている。
この本に登場するさまざまな場面は講師自身が訪れた日本各地や中国、ソ連などの風景そのものでありながら、主人公たちとその体験は自分だけでなくその家族や友人の観察から生まれたり、あるいは完全に架空の人物であったりするという。例えば、ケイトリンの親友の溺死は蘇州の寺を旅行中に偶然目にした事件がもとになった。庭園の池のほとりで遊んでいた現地の少女たちのうち一人が池に落ち、別な一人は驚きのあまり動けず、他の仲間が大人を呼んできて助け上げるまでただ凍りついていた。このときの場面が後年、何百という断片的なプロットを生み出すことになる。さらに細部を肉付けするために、講師は日本の景観や文化事情だけでなく、登場人物たちのライフヒストリーのファイルも丹念に作っていった。ナオミについては日本社会における外国人児童や混血児の取材も重ね、想像を膨らませてゆくうちに彼女の両親の出会いにまでさかのぼり、ついには独立したもうひとつの物語が生まれた(The Broken Bridge)。
だが、多文化間小説ならではの表現上の限界もある。例えば、登場人物たちが日本語ないし英語のどちらでしゃべっているのか、また日本語でも標準語と方言をどの場面で使いわけているのなどかを、話の流れや文体を崩さぬように書きわけるのは難しい。また、「河童」「仏壇」「ラブホテル」などのように、日常のこまごまとした文化には訳や注釈をつけても説明しきれないものが多々ある。このように、著者の個人芸ともいえる工夫によって小説が大きく左右されると同時に、誰を読者に想定し何を伝えたいのかによって戦略的に使用言語を選ぶことも必要になる。
講師の次のようなメッセージで会をしめくくる。「多文化間小説の旅に出かけましょう――観察と体験の積み重ねから始まりフィクションという仕事を完成させるまでの旅へ。今度はあなたがご自分の多文化体験の物語を聞かせてくれる番です。」