古今東西、歴史認識に関する問題はコミュニケーション(「今」を生きる私たちが「過去」を語り「未来」に伝える)の問題でもあります。今回は米国ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館が1995年に企画した第二次世界大戦終結50周年特別展(「エノラゲイ」展示)を巡る論争を中心に、コミュニケーションメディア(歴史の語り部、歴史を語る場)として博物館が果たすべき役割について考えてみたいと思います。ちなみに「エノラゲイ」とは、1945年8月6日朝(日本時間)、広島に原爆を投下したB-29爆撃機の愛称です。<アメリカ>、そして私たちは「エノラゲイ」・「ヒロシマ」・戦争を如何に記憶し、どう語り、何を後世に伝えるべきなのでしょう・・・・
神田外語大学外国語学部国際コミュニケーション学科教授。横浜市立矢部小学校卒。コミュニケーション学博士(Ph.D.)。アイオワ大学、ウェイン州立大学元アシスタントディベートコーチ。幕張在住。
古今東西、歴史認識に関する問題はコミュニケーションの問題でもあり、「今」を生きる私たちがどのように「過去」を語り「未来」に伝えるのかが問われる。今回は米国ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館が1995年に企画した第二次世界大戦終結50周年特別展、すなわち「エノラゲイ」展示をめぐる論争を中心に、コミュニケーションメディア(歴史の語り部、歴史を語る場)として博物館が果たすべき役割について本学教員の青沼氏から報告を受けた。「エノラゲイ」とは周知のとおり、1945年8月6日朝(日本時間)に広島に原爆を投下したB-29爆撃機の愛称である。
米国における原爆の記憶は、当時の国防長官ヘンリー・スティムソンの有名な言葉「原爆が多数の人命を救った。この一言に尽きる("The A-bomb saved lives. Period.”)」(Harper’s Magazine, 1947)に代表されるように、第二次世界大戦によって米国を単なる戦勝国にとどまらず、一気に世界の軍事大国・航空科学技術超大国へと押し上げた「よき戦い(Good War)」の一環として位置づけられている。実際はキリスト教会や国内の市民団体に厳しく批判もされ、特にベトナム戦争で事実上の敗戦に帰す1960年代以降は、当時の批判的再解釈が試みられてきたにもかかわらず、こうした言説は今日に至るまで軍事関係者や一部の政治家などによって強固に支持され、再生産されている。
その典型例となったのが、上記のスミソニアン博物館における「エノラゲイ」展示をめぐる紛糾であった。博物館とは本来コミュニケーションメディアの場であり、この展示会においても当初は”The crossroads: The end of World War II, the atomic bomb and the origins of the Cold War”と題して、多角的な歴史観が邂逅し、葛藤しながら新たな知見を生み出してゆく「議論の場」を提供する予定であった。だが、右傾化・保守化した米国与党(共和党)や軍事産業協会(The Air Force Association)などはこれを「非国民の企てだ」「米国転覆を狙っている」「日本の陰謀だ」などとして圧力をかけ、援助を受けていた博物館側もついには屈して、展示コンセプトを原爆投下の賛美に、題も”The Enola Gay”に変更したのである。
つい最近、日本の首相や防衛相も、原爆投下について「あれで戦争が終わったのだから仕方がないことだった」「特に問題視しない」といった問題発言をして取り沙汰されている。不都合な過去を忘却に任せるのでなく、エノラゲイ展示問題も含めて戦争・被爆体験をどのように記憶し、どう語り、何を後世に伝えるべきなのか、今一度きちんと論議すべき時ではないだろうか。