T原爆の記憶はさまざまな形の表象として話され、書かれ、描かれ、伝えられ、そして創られてきたが、究極的にそれは筆舌につくしがたい表象不可能性を顕現させることになった。記憶は時とともに薄れ、惨劇の風景は日常の中へと吸い込まれていく。しかし、人間の歴史には忘れてはならないこと、決して風化させてはいけないことがある。
このシンポジウムでは、いまヒロシマ・ナガサキをどのように語ればよいのかについて考える。3名の先生方の提題をふまえ、学生代表2名とともに意見交換をしたい。
本講演は、昨年度第50・53回講演会でとりあげた広島・長崎の原爆問題の反響を踏まえて、論議をさらに深める目的で再びとりあげたものである(『異文化コミュニケーション研究』20号、198-199、201-203頁参照)。
記憶は時とともに薄れ、戦争と原爆投下の事実ですら日常の中へと吸い込まれてしまうが、人間の歴史には忘れてはならないこと、決して風化させてはいけないことがある。だが、まさにその筆舌に尽くしがたい惨劇のために、原爆投下直後から約60年にわたる北南米・日本のメディアにおいて、さらに1995年に米国スミソニアン航空宇宙博物館で企画された第二次世界大戦終結50周年記念の「エノラゲイ」展示においても、さまざまな方向から直截的かつ総合的な描写・情報伝達を阻む力が働いていたことは上記2講演会ですでに報告された。
今回はこの圧力について、まず青沼氏が個々人の記憶と、社会的に共有される集合的記憶のレベルから解説した。いずれのレベルでも、人間は都合の悪いことをなるべく語らず、忘れようとする傾向がある。その結果、米国某高校のフットボールチーム「ボンバーズ」や日本のプロレス技「原爆固め」、あるいは有名な手塚治虫のロボット漫画『鉄腕アトム』など、「力」「破壊」「一撃必殺」といったイメージをポジティブな文脈で引用する例は数多く登場したが、肝心の一都市の壊滅や被爆者の苦悩については非常に限定的な言説のあり方にとどまるという現状を生み出したのである。
次に、当然ながらこうした状況に拍車をかけた制度的圧力についてゴンザレス氏が報告した。原爆投下は本来「20世紀最大のニュース」となるはずであった大事件であったにもかかわらず、実際は米国を中心とする諸圧力団体が全面的に報道を規制・検閲し続けたため、誤った情報とイメージが世界中に氾濫してきた。こうした問題に携わる各国のジャーナリストたちは、真実を知るために独力で調査を続け、一般市民にも自覚・社会参加を促すことに精力を注いでいる。ジャーナリズムにとどまらず、より広く影響力を及ぼすことができる文芸分野においても、例えばガルシア・マルケスやノーベル文学賞受賞者のホセ・サラマゴ、岡本太郎などの文学、サルバドール・ダリなどの絵画、シルビオ・ロドリゲスなどの音楽などが、フィクションや想像力を織り交ぜることによってより鮮明に、そしてより身近に原爆問題をとらえ訴えることに成功している。
原爆の記憶を風化させてはならない理由には、それが厳然たる史実であるためばかりでなく、今や格段の威力を備えた核兵器が世界の争点となっているためでもある。私たちは未解決の課題を把握し、再検討することによって、将来への教訓を引き出し続けなければならない。