留学生と本音で語るシリーズは、これまで国際友情、国際恋愛、国際結婚というテーマを取り上げてきましたが、今回は親密圏のなかでももっとも近くて遠い存在である「自分」を取り上げ、異文化体験が自己のアイデンティティにもたらす影響について、いろいろ語っていただこうと思います。留学生のみなさんは現在日本に住んで、日本語や文化を学びながらさまざまな異文化体験を通して、自分のアイデンティティ認識にどのような変化を感じているのでしょうか? また日本人学部1年生のみなさんは外国語や異文化学習を通して、これまで考えた事のなかったどんな問題に気づくようになっているのでしょうか? 等身大の本音トークを聴きながら、参加者のみなさんと活発に意見交換ができればと思います。多くのみなさんのご参加をお待ちしています!
「親密圏の異文化問題を考える」シリーズ第5回にあたる今回は、「異文化体験とアイデンティティ」というテーマで、韓国・タイ・ベトナムからの留学生3名と外国語や異文化学習を始めて間もない学部1年生3名をパネリストとして迎え、ギブソン松井佳子本研究所所長の司会進行により議論が行われた。
まず、留学生、日本人学生それぞれの立場から異文化に関して驚いたことを話し合ったところ、自己主張の仕方、および時間の捉え方の違いについての問題が浮かび上がった。日本人が自己主張をしないということは一般的によく言われる問題点であり、本シリーズにおいても同様に話題になった。中には、米国でも自己主張の少ないおとなしい人がいるという話もあったが、公的な場で必要とされる発言力についてはやはり日本人は弱いのではないかという指摘がなされた。時間については、パネリストの留学生全員が日本では時間に関して正確だと感じていた。いずれの留学生もこれを日本の良い文化であるとし、日本では自身も合わせて生活していると話していた。しかしこれは、時間を守る日本の文化を良い文化と普遍的に価値づけてしまうことへの危険もはらんでいる。果たして「良い文化」と「悪い文化」というものが存在するのか、この文化の価値づけは異文化の最終的な問題につながっていく。
また、異文化をいかに受け入れるかという点については、アイデンティティの問題が大きく関わってくることが指摘された。異文化体験には、頭で理解できるレベルから身体的に受け入れられないレベルまである。異文化環境でさまざまなレベルの体験をすることが個人のアイデンティティに影響を及ぼす、つまり、1つ1つの体験が自己をつくりあげていくのだという。今後は、異文化体験に対して自己を形成するプロセスとして捉える視点が必要であることが提示された。