丸山穣さんは、神戸大学大学院で「気候変動難民」について研究し、諸外国での研究プログラムやインターンに参加しながら自身のキャリアを構築しています。目標に向かって成長し続ける丸山さんの土台となるのは、神田外語大学での4年間に獲得した「自立学習者」としての学びの体質です。神田外語大学が構築した英語学習のさまざまな仕掛けを使い倒し、入学時には想像しえなかった自分へと成長した丸山さんの学びの歩みを取材しました。
丸山さんは群馬県高崎市に生まれた。父は電気工事技師で、母はメーカーの事務職をしており、国際的な環境が身近にあったわけではなかった。ただ、父はハリウッド映画を好んで観ており、母も洋楽をいつも聴いたので、異文化への淡い憧れはあった。
中学から英語を学び始めたが、決して得意ではなく、赤点を取ることもあったという。特に英単語を繰り返して書いて覚える宿題には苦痛を感じていた。
それでも苦手を克服したいという思いがあり、高崎商科大学附属高等学校に進学すると英語部に入り、仲間との活動で楽しみながら英語に触れる時間を過ごした。
高校2年の夏、アメリカのシアトルに3週間の短期語学研修に参加する機会を得た。当初は50万円以上の費用がかかるので躊躇していたが、両親に相談すると、母が「行ってきなさい」と、嫌な顔ひとつせずに出してくれた。
初めての海外であり、現地の家庭でのホームステイに意気揚々とアメリカへと旅立った。だが、1週間ぐらい経った頃、慣れない英語の生活によるストレスとホームシックでストレスがピークに達し、学校から帰宅した際に話しかけてきたホストマザーを無視したことで口論になった。
「日本であれば、『察する』という文化がありますが、アメリカでは『疲れているから放っておいてほしい』と自分の状況や希望を言葉で伝えないといけない。文化の壁にぶつかった経験でした」
気まずい雰囲気になったが、決して安くない費用を払って送り出してくれた母を思い出し、残りの2週間を有意義なものにしようと気持ちを切り替えた。積極的に自分の希望をホストファミリーに伝え、自己主張とコミュニケーションをしながら折り合いをつける術を学んだのである。
帰国後、英語科の大澤香代子先生が継続的に英語を使うよう提案してくれた。ラジオ講座を聴いて、その内容を大澤先生と英語で話すのである。英語に対する苦手意識もなくなり、もっと流ちょうに話せるようになりたいと思うようになった。そして、英語が話せれば、将来の職業の幅も広がるのではと漠然と感じていた。
そんな時、大澤先生が「神田外語大学という英語を学ぶにふさわしい大学がある」と教えてくれた。高校に学校案内の冊子があり、読んでみると、SALC(※1)やELI(※2)などネイティブの教員と話せる環境が充実しており、欧米の大学への留学制度も整っていた。英語力を伸ばすためのさまざまな「仕掛け」がある絶好の大学だと思い、他の大学と併願することなく神田外語大学を志望校に定めた。
ただ、他の文系の私立大学に比べると学費が割高だった。高校3年になり、両親と一緒にオープンキャンパスに参加した。ネイティブ教員が多くいる充実した教育施設を実際に見て、両親も学費の高さを納得した。秋のAO入試で早々に神田外語大学英米語学科に合格し、平成31(2019)年4月に入学してからは大学の近隣でひとり暮らしを始めた。
※1「SALC(Self-Access Learning Center)」
神田外語大学8号館にある日本最大級の「自立学習」支援施設。常駐する自立学習支援専門のラーニング・アドバイザーが、学習の進め方を学生と一緒に考え、学生自身の気づきを後押しする。リーディングやスピーキングなどのスキルアップを促す教材や施設も充実している。
※2「 ELI(English Language Institute)」
世界中から招聘された60名以上の英語教員から成る英語教育の専門家組織。全員が英語教育などの修士号をもっている。全学部の英語授業を担当するほか、授業以外でも8号館内で、ライティングやスピーキングなどのサポート、学生とのコミュニケーションを通した英語学習の支援を行っている。
受験勉強をしていた頃、丸山さんは神田外語大学の学校案内の冊子で、英米語学科の矢頭典枝教授のコラムを読んでいた。東京外国語大学でフランス語を学び、カナダ研究を専門としていた矢頭教授の経歴を知り、自分も英語だけでなくフランス語も習得したいと考えた。
大学に入学した丸山さんは、在学中に大学が学費を負担してくれる交換留学制度を使ってカナダのケベック大学モントリオール校(Université du Québec à Montréal、略称UQAM)に1年間長期留学をする目標を立てた。英語とフランス語が公用語であるケベックであれば、フランス語も学べるからだ。
UQAMに留学するにはTOEFL ITPで530点(当時)が必要だった。入学直後、丸山さんのスコアは420点。クラスメイトと比べても低い点数だ。学科にはすでに500点を取っている新入生もいる。このままでは、目標には到底及ばない。とにかく580点を取ると決めた丸山さんは、英語教育の専門家という神田外語大学の「ソフトパワー」を使い倒し始めたのだ。
まず、1年次前期から矢頭教授の「カナダ研究」を履修し、カナダに留学したい思いを伝えながら英語学習のアドバイスをもらった。日々の授業に取り組むことに加え、8号館 (https://www.kandagaigo.ac.jp/kuis/worldgate/special/newschoolhouse/point.html)(※3)をフル活用した。
1日に1回、SALCのラーニングアドバイザー(30分)とELI教員(15分)のセッションをそれぞれ予約した。1日に最低45分はネイティブ教員とコミュニケーションをする。授業でインプットした語彙を会話でアウトプットして定着させることを心がけた。
「神田外語は他の大学よりも学費が高い。その理由のひとつは、ネイティブ教員が多いからです。これほどネイティブ教員が多いのはICU(国際基督教大学)か神田外語大学しかないと聞きました。であれば、学費の元を取るぐらい使い倒そうと思って、ラーニングアドバイザーとのセッションを活用しました」
学生の少ない土曜日にもラーニングアドバイザーのセッションが受けられることを知ると、朝9時にラーニングアドバイザーを予約して、次の予約が入っていなければ、何コマ分も延々と話し続けた。3人のアドバイザーとは、点数が伸びなかったときに弱気な気持ちやフラストレーションを表現できるほどの信頼関係を構築した。
丸山さんは大学時代、サークルには入らず、アルバイトもしなかった。腕の良い電気技師として若い頃から自立してきた父からは「アルバイトをしない大学生なんているのか?」と言われた。
それでも丸山さんは、アルバイトという社会経験ではなく、「勉強という経験」に大学時代のすべての時間を費やすことを決めていた。学費の高い大学にアルバイトをせずに通う。この意思を貫くには、勉強で結果を残すしかないと心に決めて、学びのハードワークを自らに課したのである。
※3 「8号館」
「KUIS 8(クイス エイト)」と呼ばれる神田外語大学における英語教育の中心的な拠点。英語教育の専門家組織であるELIと自立学習を支援するSALCの機能が集約されている。ニューヨークの空中公園「ハイライン」をモチーフに設計された空間で、学生たちは日常的に異文化に触れながら英語運用能力を高めている。
1年次が終わる令和2(2020)年の初め頃から、新型コロナウイルスの世界的な感染が本格的に広がり始めた。未知のウイルスの感染拡大を防ぐために、人の密集するイベントは自粛が求められ、水際対策として海外との往来も制限され始めた。3月21日に予定されていた神田外語大学の卒業式も中止となった。
そして、4月7日、安倍晋三総理大臣(当時)は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を行い、4月16日に対象を全国に拡大した。街から人は消え、人々は会社や学校に通えなくなった。
2年次になったものの、大学に通えない。幕張本郷のアパートでひとり過ごしていた丸山さんはこの状況を「ラッキーだった」と振り返る。
「大学に行かなくていいから、身支度を整える必要はないし、授業はオンラインだから下はパジャマでもいい。ELIもSALCもオンラインに切り替わったので問題はない。学習のマテリアルにアクセスできれば勉強はできる。私にとって、オンラインは快適な学習環境であり、何のストレスもありませんでした」
何のストレスもなかったと丸山さんが言い切れた背景には、神田外語大学のオンライン化への積極的な対応があった。
新学期の通学が厳しいと見込まれた3月の時点で、教員から大学側に「オンラインでも質を担保した授業ができる」との働きかけがあった。言語メディア研究センター長の石井雅章教授が主導し、授業のオンライン化を実現するプロジェクト「Innovation KUIS」(https://www.kandagaigo.ac.jp/kuis/main/campuslife/innovation/)が立ち上がった。
学生に質の高い教育を提供するとともに、大学関係者と地域の人たちの感染リスクを下げることを掲げ、教職員が協力しながらオンライン授業の体制を構築していった。
この迅速な行動によって、神田外語大学は令和2(2020)年4月からオンライン授業を開始。2020年度は授業の約9割をオンラインで実施した。残りの授業も夏休み期間で実施するなどして、ほぼすべての授業を学生に提供した。また、SALCでもラーニングアドバイザーによる学習指導をオンラインへと切り替えたのだ。
大学のオンライン教育への対応が整ったことを踏まえ、丸山さんは2年次前期を終えた8月に幕張本郷のアパートを引き払い、群馬県高崎市の実家へと戻った。ひとり暮らしでの家事を煩わしく感じていた丸山さんにとって実家でオンライン授業を受ける環境は極めて快適だった。好きなリズムで生活をしながら、思う存分、英語の勉強に打ち込んだ。
TOEFL ITPのスコアも伸びていき、2年次の7月には537点、10月には543点を取得し、志望するケベック大学への留学も射程圏内に入った。
その頃、TOEFL対策の授業を担当していた柴田博和先生に「どうせなら、神田外語大学の協定校で一番レベルが高いダートマス大学を目指せばいいじゃないか」と言われた。ダートマス大学はアメリカ東海岸のアイビーリーグの一角を成すリベラルアーツ教育の名門校である。
「私は野心的な人間だと思います。柴田先生はどの学生にも『ダートマスを目指せ』と言うのかもしれないけれど、私は先生の言葉を真に受けました。ダートマス大学に留学するのであれば、TOEFL ITPでいえば最低でも600点が必要です。睡眠を3時間ほどに削るほどの犠牲を払ってでもスコアを伸ばす戦略を立てました」
柴田先生はとにかくインプットを増やすよう指導した。神田外語大学の場合、大学の授業、SALCやELIでのコミュニケーションでアウトプットの機会は豊富にある。であれば、意識的に増やすべきはインプットである。伸ばしたい分野の英文記事を読み漁り、知らない語彙については例文集をつくってネイティブが実際、どのようにその語彙を使うか表現を蓄積していった。
神田外語大学では多くの教員が外国の大学で学んだ経験を持っている。教員たちとの交流を通じ、丸山さんも英語をネイティブとする学生が受ける授業で実際に学んでみたいと考えた。
令和3(2021)年に入り、2年次も残すところ数カ月となった。だが、断続的にコロナの感染爆発が起きており、大学の協定校への海外留学は実施不可能だった。そこで、大学の国際戦略部は海外の大学にオンライン留学することを奨励するとともに学費を補助し、なんとかして学生たちに留学の機会を提供したいと考えたのである。
丸山さんは、春休みの1月から3月にかけて、スペインの大学の英語による授業を受けた。わずか3カ月の留学だったがとても有意義な時間となった。
「現地に行けないから、人々と触れ合えないし、街を歩いて文化を学ぶことはできません。しかし、英語を学ぶアドバンテージだけにフォーカスすれば、さまざまな授業が取れるし、それぞれの授業でリーディングの課題が出されるし、発表もある。英語によるアウトプットとインプットの機会を継続的に設けられます。
学費の安いオンライン留学は学びの有効な選択肢だと思います。コロナのおかげで、機会を逃がさないで頑張ることが自分の生き方の手法のひとつになりました」
神田外語大学では、海外協定校への交換留学をする場合、4年次の前期までに留学が終わらせることが条件となっている。丸山さんの場合、1年間の留学を希望していたので、3年次後期から4年次前期にかけて留学するのが時期的なリミットだった。
令和3(2021)年5月、3年次になった丸山さんは交換留学の試験を受けようと考えたが、大学側からは「合格しても、コロナの状況で留学できない場合がある」と言われた。そして、結果として交換留学は実施されないことが発表された。
その時期、丸山さんのTOEFLスコアは550点。まだ、ダートマス大学のレベルには達していたなかった。交換留学には行けなかったが、卒業後に海外の大学で学ぶかもしれない。勉強を続け、大学3年次の終わり、ついに600点を獲得した。
目の前の状況に左右されず、掲げた目標を決してあきらめずに学び続ける。自立学習者としての「体質」を丸山さんは獲得していたのである。
コロナ禍での学びが本格化した大学2年次、丸山さんは大学院への進学を考えるようになった。当時は英語力を生かして通訳となることを考えており、高度な通訳になるには大学院での専門的な学びがある方が有利であることを知った。
社会情勢に関心が高かった父の影響でニュースをよく見ていたので、幼い頃から社会科だけは得意だった。国際情勢にも興味があったので、大学では東アジアの国際関係・安全保障を専門とする阪田恭代教授や、現代中国論の専門家であり中国情勢に詳しい興梠一郎教授の授業を受け、国際関係論に強い関心を持った。
インド太平洋地域のFOIP(Free and Open Indo-Pacific Strategy)を中心に安全保障の問題を大学院で学び、国連職員や国際NGO職員となって「国際社会に貢献したい」と思うようになった。そして、3年次は国際関係論の水野孝昭教授のゼミナールを履修した
コロナが収束せず、長期留学も実現しなかったが、それでも大学院で国際関係論を学ぶことを目標として、学び続けていた。3年次も終わろうとする令和4(2022)年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、戦争状態に入った。
「ロシアとプーチンの決断により、それ以前に各国が重ねてきた外交努力が水の泡となりました。自分は戦後の日本に生まれた人間として、平和な世界の実現を追求し、語学と安全保障を学んで外交面で貢献したいと思っていました。でも、ウクライナの紛争が起きたことで、『安全保障なんて勉強しても意味がないのでは』と失望してしまったんです」
令和4(2022)年4月、大学4年次となった丸山さんは、ひとまず大学院受験する時期を令和5(2023)年1月に定めた。早ければ夏に受験できたが、安全保障という軸を失い、大学院での進路がまったく定まっていなかったからだ。
国際関係論での大学院進学を志していた丸山さんはまったく異なる領域にも心を引かれるようになっていた。砂漠緑化の研究である。アフリカのサヘル地域で植物を繁殖させて、森林を育て、気候変動と二酸化炭素の減少を実現する。地球温暖化の研究に心血を注ぎ、問題解決に貢献できないかと本気で考えていた。
4年次になって、水野教授のゼミに加え、理学博士であり、森林生態学にも造詣が深い飯島明子教授のゼミナールも履修した。飯島教授に自らの関心や進路について相談した。
この時期、丸山さんは1年次から出会ってきた何人もの教員にオンラインで面談を申し込み、進路に関する相談をしていた。さまざまな領域の専門家から視点の異なる意見を聞くことで自らの道を見出そうとしていたのである。そして、親身になって丸山さんの悩みに寄り添う教員たちがいた。
丸山さんは英語学習だけでなく、キャリア構築においても神田外語大学のソフトパワーをフル活用していたのだ。
そんな時、インスタグラムで日本財団がウクライナ避難民支援の大学生ボランティアを募集していることを知った。それも、ウクライナから人々が逃れているポーランドやオーストリアなど周辺諸国で、最短でも2週間にわたり活動するプログラムだ。「国際社会に貢献したい」という自らの目標に立ち返った丸山さんはすぐに応募した。
ここで丸山さんの大学に入ってからの成果が大いに発揮された。まず英語の試験はオンラインの英語力測定テスト「EFSET」が課された。リーディングとリスニングの試験があったが結果は最上級レベルだった。
提出した書類では志望動機を書く欄があった。丸山さんは「自分は国際関係論を大学院で学ぶ予定だが、日本の教室からではなくて現場で起きていることを自分の目で確かめて難民問題の本質を学びたい」と書いた。
丸山さんはこの志望動機を英語で書いた。特に英語で書く指定はなかったにもかかわらずである。丸山さんは、自分が神田外語大学で積み上げてきた英語の学びをこの選抜試験にぶつけた。
この選抜は、15人の定員に対して応募者393人という難関だった。丸山さんは、見事、20倍以上の競争率を勝ち抜き、派遣ボランティアのひとりに選抜されたのである。
令和4(2022)年8月1日に日本を出国した丸山さんは、ウクライナ国境に近いポーランド・プシェミシルの駅で活動を始めた。人々が大挙して押し寄せる駅は混沌としていた。ヨーロッパ各地へと逃げる人々の荷物を運ぶ仕事を担当し、故郷を追われる人々の苦痛を目の当たりにした。
丸山さんは、「まだ、自分にやれることはないか」と自問した。
「日本の駅はゴミが落ちていなくて清潔です。でも、プシェミシルの駅はポイ捨ても多くて、吸い殻なども散乱していました。不安な気持ちでいる避難民の人々に少しでも気持ちよく過ごしてほしい。そう思って、特に誰かに指示される訳でなく、自発的にゴミ拾いを始めました」
費用を出してもらって派遣されたボランティア活動。丸山さんは、その機会を無駄にせず、「自分なりに現場に貢献しなくてはいけない」と思った。この混沌の中でいったい何ができるのかと悩んだが、現場の状況を捉え、必要とされることを判断しながら、実践することを決めた。
それが、丸山さんにとっては、ゴミ拾いを続け、避難民の快適な環境づくりに貢献することだった。ウクライナ避難民支援活動は、ボランティア活動における「全体の利益に基づく現場での判断と実践」を、身をもって学ぶ貴重な機会となった。
ウクライナでのボランティア活動における「判断と実践」のベースとなっているのは、それまでの英語の学びだったと丸山さんは振り返る。
「ボランティアの現場で何が必要で、自分がどう貢献すべきなのか、自分の持っている能力をどう応用できるのか、という考え方は英語学習を通じて養われていったと思います。
英語では『次のテストで点数をここまで伸ばしたい』と思ったら、どうすればよいか戦略を立てなければなりません。戦略は自分で考えるしかない。周りにはラーニングアドバイザーもいるし、大学の先生方もいます。でも、誰かが作ったものではダメなんです。
自分の背景、環境、得手不得手をすべて踏まえたうえで、目標の点数を取るにはどうしたらよいかを日々、考えて実践していく。その力は神田外語大学の4年間で身に付いたと思います」
ウクライナ避難民支援活動は、大学卒業後の進路に悩んでいた丸山さんに新たな視点を与えてくれた。
「私は以前、『国家』対『国家』のパワーポリティクスを中心とした『国家の安全保障』を大学院で学ぼうと考えていました。でも、ポーランドでウクライナ避難民支援をすることで、自分の関心が『人間の安全保障』へシフトしていたことに気づいたのです。人間の安全保障では、困難な環境のもとで構造的な暴力を受ける女性や子ども、高齢者といった社会的弱者をいかに支援するべきかが研究対象となります」
それでも砂漠の緑化という研究テーマにも引かれていた。選択に迷う丸山さんにゼミナールの水野教授は「気候変動難民という新しい研究がある」と助言した。
「水野先生からそう言われて、『なるほど!』と思いました。気候変動によって強制的に移住しなければならない人々がいますが、現在、国際社会では『難民』として扱われていません。今後、気候変動の甚大化が原因で故郷を追われる人々は増えるはずです。グローバルガバナンスの中で気候変動による強制移住者をしっかりと保護することを研究する。それは、21世紀を生きる自分の使命だと感じました」
こうして、丸山さんは自身の関心をカバーする気候変動難民の研究というテーマを得て、令和5(2023)年4月、この分野での研究に取り組む教員のいる神戸大学の大学院国際協力研究科に進学した。修士研究のテーマは「国内気候変動災害の避難民支援における国際協力ガバナンス:2010年と2022年のパキスタン洪水を事例として(仮)」である。
英語を極めたいという想いから、教育環境と留学制度の整った神田外語大学を選択した丸山さん。だが、コロナ禍という未曾有の状況により、交換留学など想定していた「現場」での学びの多くは実現しなかった。
それでも、丸山さんはコロナ禍という逆境を微塵にも感じさせない熱量で学び続けた。そのベースにはオンラインでも教育の質を落とさないという神田外語大学の決意があり、丸山さんの高い志に応えたいという大学の教職員たちの熱意があった。丸山さんは先生方に深く感謝しつつ、「4年間で大きく成長できたことは私の人生の礎」と神田外語大学での学びを振り返る。
丸山さんは今後、国際援助の現場で経験を積みながら、自らが得た知見を博士課程での研究に結びつけたいと考えている。大学院2年次には国連教育科学文化機関(ユネスコ)のインターンシップで海外の現場に行く予定だ。
着実にキャリアを積みつつある丸山さんは、どんな人間になることを目指しているのだろうか。
「国連高等弁務官を務められた緒方貞子さんは、夢は大きく持ち、それを焦らず着実に叶えていくことの大切さを説かれていました。私にとって、とても大切な考え方です。
私自身、神田外語大学に入ったときはTOEFL420点でしたが、600点を目標にして、あきらめず、一歩一歩学んでいくことで到達できました。その苦労はきっと将来の夢を叶える糧になると信じています。大きな夢を持ち、何かを成し遂げたいという強い気持ちがあるから、挫折をしてもまた立ち上がることができる。
自分は評価されたいと強く思うし、とても野心的な人間だと思います。私は、その野心を自分のためではなく、世界に貢献するために使いたい。人道主義者として世界に貢献できる人間になりたいと思います」
「中学、高校の自分は決して優秀ではなかった」と正直に語る丸山さんは、自身でも想像しえなかった成長を遂げて神田外語大学を卒業した。それは、自立学習者の育成を掲げる神田外語大学の利点を使い倒した成果だった。各分野の専門家である教員陣の親身な指導、SALCラーニングアドバイザーの学習サポート、ELI教員による英語の専門教育。神田外語大学のソフトパワーと、丸山さんの飽くなき向上心と努力が化学反応を起こし、ひとりの自立学習者が生まれたのである。
そして、丸山さんは今も、自らが掲げた目標の向こうにいる自分を目指して、自立学習者として学び続けている。(了)
平成12(2000)年群馬県高崎市生まれ。平成31(2019)年4月神田外語大学外国語学部英米語学科に入学。在学中、TOEFL ITPのスコアを420点から600点にまで伸ばした。国際関係論(ジャーナリズム)のゼミナールで安全保障・難民問題を研究。4年次で日本財団ボランティアセンター主催「ウクライナ避難民ボランティア」や外務省・対日理解促進交流プログラム「カケハシ・プロジェクト」の派遣学生に選抜された。令和5(2023)年4月、神戸大学大学院国際協力研究科博士前期課程2年に入学。気候変動による避難民問題を研究テーマとし、とりわけ教育をはじめとする生活基盤への人道支援の継続性について関心を寄せている。