ジェンダーについて関心があり、多角的な視点を養うために神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部に入学した瀬戸山未羽さん。さまざまな葛藤を乗り越えて参加したリトアニア研修では心の琴線に触れる体験の数々が待っていました。そして、リトアニアでの見聞は瀬戸山さんのテーマであるジェンダーへの取り組みでも大切な気付きを与えてくれたようです。
[出発前:2022年2月12日@神田外語大学幕張キャンパス]
瀬戸山未羽さんは小学2年生から英会話教室に通い始め、海外のアニメや漫画も大好きになった。教室が自宅の近くにあり、先生のもとに外国人の友人が遊びに来ると一緒に食事をする機会も多かった。高校生の時、オーストラリアでのホームステイを体験。修学旅行は台湾で現地の高校生と交流した。漠然と「ああ、文化って、なんか違うんだな」と思うようになった。
神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部(以下、GLA学部)への入学動機は、中学校時代の体験にさかのぼる。
「友達にLGBTQ +に当てはまる子がいました。その子との出会いから、ジェンダー問題を解決したいと思うようになりました。ジェンダーは一人ひとりにあるもの。日本だけで学んでいたら国内の視点だけになってしまう。海外にはジェンダーを広く、ニュートラルに捉えている国もあります。そういった文化圏のことを知り、日本に還元できたらいいなと思うようになったのです」
ジェンダーをテーマに、海外でも学び、行動をしていきたいと考えるようになった瀬戸山さんだが、大学で外国語を専攻することには違和感があった。
「外国語力が高いというのは外側の魅力でしかないと思います。いくら語学力があっても、自分の中身がゼロであれば意味がありません。中身がいっぱい詰まった語学力の高い人になりたい。英語を通じて多角的に学ぶポリシーが自分に合っていると思い、GLAを選びました」
令和3(2021)年4月、瀬戸山さんはGLA学部へと入学した。だが、1年次前期で楽しみにしていた海外研修「海外スタディ・ツアー」はコロナ禍により実施が見送られた。学部からは、派遣先である4つの国と地域(リトアニア、インド、マレーシア・ボルネオ、エルサレム)へのオンライン留学を主体とした「海外スタディ・ツアー2.0」の実施が発表された。
「コロナという感染症が起きてしまったことは仕方がない。今あることで最大限の利益を生み出そうとみんな思っていた」と瀬戸山さんは当時を振り返る。そして、6月27日、リトアニア、エルサレムへのオンライン留学が実施される神田外語グループの国際研修施設「ブリティッシュヒルズ」(福島県天栄村)での合宿に向かった。
「入学前に海外への留学を望んでいたぶん、オンライン留学は得られることが少ないだろうと期待値は下がっていました。でも、4つの国と地域の視点を学び、比べることができたので思ったより大きなことが学べました。そして、福島では東日本大震災の被災地に行って、そこで得られたことが日本人として大きかったと思います。
私たちGLAの学生は海外に目を向けているので、住んでいる場所からバスでも行ける距離にある福島での原発事故のことを何も知らなかった事実を突きつけられて、すごく心が揺れて、喪失感を覚えました。現地を訪れてから半年経った今も、被災地の方々との会話を思い出し、みんなで話すことがあります。その体験も含めて、海外スタディ・ツアー2.0は自分の考え方に大きな影響があった4週間でした」
ブリティッシュヒルズでの合宿は早朝から夜まで学習が続く集団生活であり、学生にとっては過酷な時間であったが、GLA学部全体にとっても大きな収穫があったようだ。
「合宿から帰ってきた後、GLAがギスギスしていた時期がありました。みんな思ったことがあり、でも言えなくて、聞けなくて、もどかしい。言葉にすると言い過ぎてしまう。うまくはまらない時期があって、でも、それを経て、みんなが仲良くなった気がします。今思えば、ライオンが子どもを成長させるために谷に突き落とす、そんな経験だったと思います」
貴重な体験を得た海外スタデイ・ツアー2.0だったが、瀬戸山さんのなかでは「やはり1年次のうちに海外に行きたい」という想いが募った。それはGLA学部の多くの学生に共通する想いだったようだ。
「GLAの学生の多くは、海外へ行って何かを感じて持ち帰ってきた経験があります。海外に行けば何か得られるものがあると分かっている。行けない、でも行きたい。大学の先輩には韓国やスペインに個人留学している方もいる。学部全体だと実施が難しいのかなと理解しながらも、このままでは何かを逃した感があるなと思っていました」
12月、リトアニアへの研修実施が発表された。だが、実際に行けるとなると瀬戸山さんのなかで葛藤が生まれ始めた。コロナの収束が見通せず、新たな変異種のオミクロン株の感染爆発が海外で起き始めた当時、ちまたでは海外研修などもっての外という雰囲気が漂っていた。
「ブリティッシュヒルズの合宿でさえ、被災地を現地視察したブログ記事に『良いプログラムだけど、今の時期にすべきことじゃない』という書き込みがあったのを目にしました。ましてや、海外への研修です。『なんで今、海外へ行くの?』といろいろな人に言われました。今は動いちゃいけない時期。それは分かっている。正直、『行くのをやめます』と言いかけた時期もありました。でも、この経験は大学1年生の自分にしかできない。大学の教室で先生から知識を学んで、アルバイトに行くだけで1年を終えていいのか、すごく悩みました」
その迷いを拭い去ってくれたのは、瀬戸山さんの両親の言葉だった。
「『どうせ日本にいてもコロナにかかるんだったら、海外研修に行って、もらってくるならもらってきて、治して、そういう経験もあってもいいじゃない』と言ってくれたのです。私はひとり暮らしもしているから、帰国して隔離の状態も保てる。そう判断して行くことを決めました。
でも、私の仲の良い友達で辞退した子がいます。GLAでの学びに真っすぐで、すごく行きたがっていた。大学の先生方や家族ともたくさん話し合った。でも、行けなかった。コロナによって学びの機会が失われていることが、すごく悔しくて。だから、自分が得て帰ってこなくちゃいけない、何か使命感のようなものを感じました」
令和4(2022)年2月14日、さまざまな想いを抱えて、瀬戸山さんはリトアニアへと旅立った。
[現地にて:2022年2月18日@リトアニア カウナス]
2月18日、リトアニアの現地時間で早朝に瀬戸山さんにカウナスでの研修の様子を聞くことができた。コロナ禍でアジア系の観光客がほとんどいない状況で、日本の学生が30人以上で団体行動していると現地の人々からは驚きの視線を向けられたと瀬戸山さんは語ってくれた。
「海外に来て『観光客がなんでいるの?』と見られる状況は初めてなので、不思議な雰囲気を感じながら生活をしています。でも、リトアニアの人たちは優しくて、独立記念日のセレモニーに参加した時は英語で行事の説明をしてくれました。なかには軍服のワッペンを剥がして、お土産にくれた方までいます。リトアニア人は、とてもフレンドリーです」
カウナスでの研修初日は、第2次大戦中に多くのユダヤ人の命を救った外交官、杉原千畝の記念館(杉原ハウス)を訪れた。桜の木、日本語の展示ビデオ、日本円が使えるお土産ショップ。ヨーロッパで出会った日本にゆかりのある場所に瀬戸山さんは温かい気持ちになった。
「高校時代、杉原千畝について教科書で読みましたが、GLAのオンライン留学、そしてカウナスの記念館で背景にある歴史を学ぶと、私が学んできた歴史は日本の視点だったと感じました。ここでは、リトアニアの視点で千畝を見ることができました。街なかでも、現地の人に自分が日本人であることを伝えると、『杉原ハウスに行ったことがあるよ、彼はナイスガイだね』と言ってくれます。とても誇らしい気持ちになりました」
日本での学びとは歴史の感じ方が異なる。その感覚はユダヤ人収容所の第9要塞博物館で一層、強くなった。
「ベッドやトイレのバケツなど当時のものがそのまま残っているんです。地下の収容所にには、じめっとした雰囲気が漂っている。ガイドさんが地下の通路を歩きながら『ここを60人が抜け出したんだよ』と案内してくれました。日本では、ホロコースト時代にユダヤ人に起きた出来事は教科書で学ぶだけで、リアルに体験する手段がありません。収容所を自分の足で歩いてみると、昨日の出来事のように思える。実寸大の歴史が見えてきました」
独立記念日に訪れた戦争博物館では、歴史を伝える意識が市民に根付いているように瀬戸山さんは感じた。
「博物館には子どもがたくさんいました。母親らしき女性が子どもに一生懸命説明しているので、ガイドさんに聞いたところ『後世に伝えたいことを独立記念日に伝える意識があるのでは』と答えてくれました。自分たちの歴史をきちんと理解して伝える力があるのだと感じました」
リトアニアは苦難の歴史を経て、独立を勝ち取った。今回のリトアニア研修は、2月16日の独立記念日に合わせて日程が最終決定された。瀬戸山さんはセレモニーに参加することで、リトアニア人の国家に対する意識の一端を垣間見ることができた。
「日本では建国記念日を知らない人もいますが、リトアニアでは独立記念日はきちんと認知されていると感じました。セレモニーでは国歌を記念碑に向かって歌っている様子がとても美しかったです。その場には若い人も普段のファッションで参加しながら、国歌を歌っている。その光景は日本には無いものだと思いました」
カウナス市役所訪問も瀬戸山さんにとってはリトアニア人の考え方を知る良い機会だった。副市長による市を説明するプレゼンテーションの後、質問の時間があった。瀬戸山さんは友人と一緒にジェンダーの意識に関する質問を考え、投げ掛けてみた。
「リトアニアではトイレのマークは、男性も女性も形は日本と同じですが、カラーは同じ色に統一されていました。一方で、ドアを開けて中に入るときや食事をサーブするときはレディファーストです。『どんなジェンダー教育をしているのですか』と問い掛けてみたのです。すると副市長さんからは、『それが当たり前だと思っている』というシンプルな答えが返ってきました。副市長のようなリーダーとなる方がそういう意識だから、市民の意識もそういう考えになると感じました。
会合の終わりに副市長は『皆さんと良い関係を続けていきたいです』と言ってくれました。その言葉がとてもうれしかったです。個人旅行では絶対に会えない方なので、本当に貴重な経験でした」
ナチスドイツやソ連に翻弄(ほんろう)され、独立を勝ち取った歴史やリアルな史実を現地で学び、一方で学生から副市長まで異なる立場の人々と交流する。GLA学部の学生たちにとってリトアニア研修は濃密な体験の連続だったようだ。
[帰国後:2022年3月10日@神田外語大学幕張キャンパス]
3月10日、瀬戸山さんに会うことができた。場所は神田外語大学のGLAコモンズ。GLA学部のホームである。リトアニア研修から帰国し、まず率直に何を感じているのだろうか。
「2月21日に帰国してから3日後に、ロシアがウクライナに侵攻しました。リアルタイムで世界を感じることができたと思っています。リトアニア研修を一言で表すと『百聞は一見にしかず』。本当に行けてよかったです」
帰国から2週間が経ち、現地での体験で瀬戸山さんが最も心に残っているのは「人」だったという。GLA学部の仲間や教職員、ツアーガイド、そして現地で出会った人々。そのなかでも初めて「自分の語学力で相手に気持ちを伝え、関係を築く体験」ができた現地の大学生との交流は貴重な時間だったと振り返る。
「ヴィータウタス・マグヌス大学の日本文化サークルHashi-Clubとの交流はカウナス滞在の最終日の夕方でした。疲労がピークだったし、会場は杉原ハウス。ホテルからだと丘の上まで歩かないといけなくて、ちょっと渋っていました。でも、行ってみたら日本好き、アジア圏の文化好きの同世代の子たちが集まっていて、1時間半ぐらいずっとお話をしました。日本で行きたい場所から推しのアニメキャラまで、話は尽きなくて、一緒にご飯に行こうと盛り上がり、夕食も共にしました。
私は、今回の研修でリトアニア人は愛国心が強いと感じていたのですが、同世代の子たちにそのことを話すと『独立記念日?ああ、セレモニーね。行かない人もいるよ』ぐらいの反応です。何か、リアルな、生きた感じがしました。そういった会話ができる関係性までたどり着けたので、現地で友達になった子たちが今回の研修では一番印象に残っています。もう一度訪問できるなら必ず会いたい。最後は涙、涙の別れでした」
GLA学部の学生たちは14時間かけてリトアニアに移動し、日本文化が大好きで、日本語を一生懸命学んでいる同世代の学生たちとリアルに出会うことができた。簡単に行けるわけではない日本のことをこれほど大切に思ってくれている同世代が異国にいる。「なんかすごくうれしくなった」という瀬戸山さんの言葉どおり、リトアニア研修は、参加した学生にとって世界とのかけがえのない絆を実感する機会となったのだろう。
数多くの訪問先で瀬戸山さんが最も「何かを感じた場所」は第9要塞博物館のユダヤ人収容所跡だった。ナチスドイツが数百万人に及ぶユダヤ人を虐殺したホロコースト時代の出来事は、瀬戸山さんにとって「あまり知りたくなかったし、知らなかったままにしてきた」史実だった。
「原爆の資料館もそうですが、(戦争に関する)日本の施設はきれいで、当時の品々も透明なガラスケースで展示されています。でも、リトアニアの博物館や展示施設は、その時代のものをそのまま残してある。特に第9要塞はホロコースト時代にユダヤ人が収容されていた施設なので、圧迫感というか、重圧的な感じがしました。『ここには入っちゃいけない』という気持ちがすごく強くて。雨の日ですごく暗くて、とても重い雰囲気がある所で息の詰まる体験をしました。そこでは差別や拷問も行われていたし、当時の写真もそのまま残っている。それを見て、この歴史は繰り返しちゃいけない、と強く感じました」
そして、ウクライナでの戦争が起きた。瀬戸山さんは帰国後のホテルでの隔離期間中、戦争の報道を見て、第9要塞博物館の風景を心に描きながら、「なんであんなにひどい歴史があったのに、人は繰り返すのだろう」と、ひとり考え続けていたという。
リトアニアの現地で何かを感じられた要因として、オンライン留学で事前にモニター越しで体験していたことも大きかったと瀬戸山さんは説明してくれた。
「例えば、杉原千畝の記念館は、ガイドさんがカメラで映す映像を見ながら館内を巡っていました。そのバーチャルツアーで見たもので私が実際に見たかったのは窓からの景色です。千畝があの時代に見ていたかもしれない景色やリトアニアの街並み。それをリアルで見た時、すごく感動しました。事前に学び、自分が情報を持っていたから、感性が動くというか、感情的に何かを感じられました。だから、ブリティッシュヒルズでのオンライン留学はすごくつらかったけど、現地で生きたと思いました。つらかったかいがありましたね」
出発前、コロナの状況に配慮し、研修への参加を悩み続けた瀬戸山さんは、リトアニアでの経験を通じて異なる視点を持つことができたようだ。
「日本に帰ってからひとつ思ったのは、日本は留学生をはじめ海外からの渡航者の受け入れが厳しい状態が続いています。一方で海外への出国は許している。都合の良い鎖国状態のように思えます。研修の終わりに訪れた首都、ヴィリニュスで私たち学生の代表が日本大使館に表敬訪問に行きました。代表の学生は大使から『リトアニアには日本に進出したい企業がたくさんあるのに、今は行けなくて大変困っている』というお話を聞いたそうです。日本は国内のコロナ対策で手いっぱいですが、もっと諸外国の対策を参考にして取り入れたら、コロナ禍でも前進できることがあるのになと思いました」
その発想は海外に出たからこそ得られたものだと瀬戸山さんは強調する。
「コロナ禍になって、2年ぐらいずっと日本にいて、日本で海外のことを学んでいると、日本の視点からしか考えられていなかったと感じました。リトアニアに行って、多角的に日本のことを見て、変えられることがあると感じました。日本はちょっと煮詰まっている。だから、今回のことを日本に還元していきたいですね」
瀬戸山さんはジェンダーの問題に関心があり、日本の状況を改善していきたいと志してGLA学部へと進学した。リトアニア研修ではささやかだが大切なことに気付いたという。
「リトアニアでは街灯にレインボーデザインのステッカーが貼ってあり、そこには “Ačiū” “Partnership” と書いてありました。レインボーはLGBTQ +といったジェンダーの尊厳を象徴するデザイン。“Ačiū”はリトアニア語で『ありがとう』という意味。そこにパートナーシップへの感謝のメッセージが描かれていることに目が留まりました。また、トイレのマークも男女ともに同じ色であることにも驚きました。
日本で生活していると、例えばアルバイト先で『女の子だから料理は上手?』と男性から聞かれると、『ああ、日本はジェンダーの意識が全然変わんない!』といら立ってしまうことも多かった。でも、自分は問題を大きく改善するために物事を大きく考え過ぎていた、とリトアニアで感じました。ステッカーにしても、トイレのサインにしても、もうちょっと地道に、身近な周りのことからコツコツと変えられるところは十分にあるなと思いました」
出発前、瀬戸山さんの言葉の端々から、研修に行けた自分は行けなかったGLA学部の仲間に何かを還元しなければと強く思っている様子が感じられた。その想いについて改めて聞いてみた。
「行きたいけど行けなかった子がいた。行きたかったのがリトアニアではなかったので、行かなかった子がいた。でも、私は行ったし、かなり多くのことを得た。世界観や価値観もずいぶんと変わりました。これからのGLAの学びでリトアニア研修はひとつの共通体験として、日々のディスカッションでも話題に上がるはずです。だからこそ、私たちが学んだことを還元しなければならない、と強く思います。もうすぐ後輩が入ってくるので、後輩にたくさん教えてあげたいなと思います。
でも、とてももどかしいです。訪れた場所や会話の内容、食べた料理の話はできるけど、『百聞は一見にしかず』で体感したことを、言語化するのが難しくて。それでも、自分の感じたことをかたちに残さなければと思っています」
瀬戸山さんは、「中身がいっぱい詰まった語学力の高い人」になりたくて、グローバル・リベラルアーツ学部に入学した。そこでかけがえのない仲間に出会った。さまざまな葛藤を乗り越えてコロナ禍の日本を飛び出し、訪れたリトアニアでの研修。その体験を経て、瀬戸山さんは学部全体、さらには日本へと何か還元したいと思うようになった。2年次、グローバル・リベラルアーツ学部という実験の場を舞台に、瀬戸山さんの新たな挑戦が始まる。(了)