令和4(2022)年2月14日からの8日間、神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部はリトアニアへの学生派遣を決行しました。まさに、国内外で新型コロナウイルスの爆発的な感染が起き、ロシアのウクライナ侵攻が直近に迫っていた時期。学生派遣にまつわる実務を担った国際戦略部ゼネラルマネージャー、市川透に実施に至るまでの経緯と現地での様子、そして今回の研修がもたらした自身の成長について取材しました。(文中敬称略)
[出発前:2022年2月12日@神田外語大学幕張キャンパス]
令和2(2020)年2月、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が始まり、日本でも横浜港に入港したクルーズ船で大勢の感染者が確認されていた。神田外語大学の国際戦略部で学生の海外派遣を担当する市川透は、春休み以降に予定されていた学生の海外研修や留学プログラムを中止せざるを得なかった。
4月の新年度に入っても感染拡大は続き、緊急事態宣言が発令。ステイホームやリモートワークが推奨され、大学の授業もオンラインに切り替えられた。あらゆる判断は、コロナへの感染リスクを回避することが基本となり、留学や海外研修など「もってのほか」という状況になった。
神田外語大学では翌年の令和3(2021年)4月にグローバル・リベラルアーツ学部(以下、GLA学部)を開設し、7月には1期生を4カ国・地域(リトアニア、インド、マレーシア・ボルネオ、エルサレム)に派遣する「海外スタディ・ツアー」の実施を予定していた。だが、コロナの感染拡大は終息する見通しが立たず、2020年12月には海外スタディ・ツアーの実施は難しく、国内でのプログラムで代替する判断を下した。
GLA学部は、入学予定者と保護者に「時機を見て、行けるようになったら、場所や期間は変更するかもしれませんが、必ず学生を海外に送ります」と約束した。対応に当たっていた市川自身もコロナ禍の状況下でも「いつかは行くのだろう」と思っていたが、当時はまだ漠然としたものだった。
2021年4月にGLA学部1期生が入学し、6月末から7月にかけて代替プログラム「海外スタディ・ツアー2.0」が実施された。4カ国・地域へのオンライン留学、神田外語グループの国際研修施設であるブリティッシュヒルズでの合宿、さらには東京電力福島第一原子力発電所の事故に関する現地研修など濃密なプログラムが組まれた。
GLA学部が学生に約束した「時機を見て必ず学生を海外に送ります」という言葉に偽りはなく、海外スタディ・ツアー2.0が終了した頃から、市川はGLA学部の海外研修を実現すべく、協定校とのやりとりを開始した。
秋になって、4カ国・地域のうち、派遣先をリトアニアに絞った。その時点では、入国後の待機期間が最も短く、安全面や航空券取得の確実性などを考慮すると、リトアニアだけが現実的な選択肢だった。令和4(2022)年2月に、希望する学生の団体研修を実施する計画を立て、協定校であるヴィータウタス・マグヌス大学の担当者との具体的なやりとりを始めた。
GLA学部の学生数は55人。その規模の海外研修は決して珍しくはない。だが、状況は平時ではない。2022年に入ると、新型コロナウイルスのオミクロン株による第6波が猛威を振るい始めた。感染力が強く、新規陽性者は爆発的に増加した。大学としてはリトアニア研修を実施する決定を下していたが、市川は数十人という団体での海外研修の実施に反対の立場を取っていた。実は、ブリティッシュヒルズでの合宿についても市川は学生の団体研修には異を唱えていたという。
「ブリティッシュヒルズでの合宿も気が進みませんでした。コロナが拡大している時期に食事を共にする合宿形式の研修などすべきかと、疑問を投げ掛けていました。そして海外研修です。正直言って、驚きました。会議ではやめた方がいいという意見を繰り返しました。
50人を一度に海外へ送るのと、長期留学に1人を送るのではリスクがまったく違います。団体で送ったときに、コロナに感染せず、無事に帰って来られる保証はほとんどありません。このリトアニア研修はリスクが一番高い方法です。正直、反対でした。佐野元泰理事長にも遠回しにですが延期を進言しました。でも、まったく折れていただけない。理事長は実施することを決意していたので、私が遠回しに意見しても通じなかったのかもしれませんね」
市川は1期生が2年次になった2022年夏に海外研修を延ばす提案をしていたが、夏に伸ばしたところで確実に行ける保証はないことは自身も理解していた。しかし、コロナ禍に突入して以来、学生の安全を最優先に考え、消極的な判断を下し続けてきた自分のマインドを切り替えるのは難しかった。
そのマインドを切り替える決定打は学生の参加希望率の高さを知ったことだった。
「GLA学部の学生の半数以上がリトアニアへ行きたいと意思表示をしました。保護者の方々をお呼びして説明会も行いました。僕はきっと『この時期にやるんですか?』と意見が出ると思っていたのですが、まったく出なかった。学生も保護者も決して安全な場所に行くのではないということは覚悟していることを実感しました。
思えば、自分が猛反対したブリティッシュヒルズ合宿も、終わってみれば、学生たちは格段に成長しました。学生も保護者もリスクを覚悟し、何よりもこれだけ多くの学生が行きたがっている。行かせてあげたい。需要があるなら、やらなければと思うようになりました。そこから180度意識を変えて、『やるしかないのなら、やってやろう』と思い始めました」
こうしてリトアニア研修は決行されることが決まり、市川をはじめとした国際戦略部のスタッフたちは研修準備の追い込みに入っていった。
派遣先であるリトアニアのカウナス市にあるヴィータウタス・マグヌス大学は、GLA学部開設以前から神田外語大学の外国語学部と協定を結んでおり、学生の交換留学が行われていた。GLA学部の開設に当たり、市川は金口恭久副学長と共に、2回現地を訪れ、同学部のコンセプトを担当者に説明していた。
研修実施に向けて、現地の大学の担当者である人文学部准教授のアルビダス・クンピスさんからは、「座学はオンライン授業で十分でしょう。こちらに来たら学んだ史実の現場を実際に訪れること、そして、リトアニアの学生と交流することをメインにしましょう」と提案された。GLA学部のコンセプトを踏まえたうえでの訪問先の候補が次々と送られ、市川は副学長の金口をはじめGLA学部の教員陣と研修の内容を詰めていった。
実は、海外スタディ・ツアーで設定されている4カ国・地域のなかで、リトアニアに関心がある学生は決して多くなかった。実際、リトアニア研修の実施が決定しても、自分の関心とは異なるので参加しないことを決めた学生もいた。市川はその理由をこう説明する。
「4つの国と地域のうち、リアルタイムで課題に直面していない国はリトアニアだけでした。インドは貧困と格差を目の当たりにできる。エルサレムでは銃を持った兵士が街中に立ち、緊張感が漂っている。マレーシアのボルネオは熱帯雨林とオランウータンの保護を現場で学べます。でも、リトアニアはナチスドイツやソ連の侵略、多くのユダヤ人を救った杉原千畝など、平和学を学ぶための史実は本当に豊かですが、現在はとても平穏な国です。だから、学生が現実感を持って世界の課題を学ぶ対象としてはイメージしづらいのでしょう」
しかしながら、リトアニア研修実施の直前になり、ロシアのウクライナ侵攻が現実味を帯びてきた。リトアニアとウクライナの間に位置するベラルーシにはロシア軍が部隊を配備していることが報道された。市川は、その運命的なタイミングについてこう語る。
「戦争が起きそうな状況で、ウクライナの隣の隣にあるリトアニアへ行く。何かを感じ取れるタイミングです。もちろんリスクは高くなった。でも、世界の課題に自分がどう取り組めるかと向き合っているGLA学部の学生たちにとって、この緊張感のなかでリトアニアへ行けるのは本当に貴重な体験です」
新型コロナウイルスとロシアのウクライナ侵攻という高いリスクのなかで実施が決まったリトアニア研修。市川は研修を通じて学生に何を学んでほしいと思っているのだろうか。
「私自身、アメリカの大学に留学した経験があり、そこで一番強く感じたのは、日本では会えない人と出会えること、です。考え方や行動パターンが日本人とはまるきり違う人と出会えたことは、今でも自分の財産です。その時、そこに行ったからこそ出会える人が絶対にいます。その出会いを感じ、持ち帰り、そしてこれからの長い人生に生かすには、自分なりにどうすればいいかを考えてほしいですね。今後自分はどういう役割を担っていくかを、自分なりに答えを導き出すきっかけになってくれるといいなと思います」
リトアニア研修への出発を2日後に控えた2月12日、出国に必要なPCR検査が神田外語大学で行われた。その時点で、日本でもリトアニアでもかつてない規模で新規陽性者が報告されていた。学生の希望をかなえるために消極的なマインドをリセットし、リトアニア研修を実現すべく奔走してきた市川は研修に向けてこう語ってくれた。
「リトアニアでも感染者が多数出ています。学生や教職員の誰かが感染した場合、そこでプログラムがどうなるかが、経験のないことで、まったく読めない。その不透明さの方がずっと怖い。連れて行くこと自体は全然難しくない、無事に帰らせる方が難しいと思っています」
この日にPCR検査を受けた全員が陰性と証明され、2月14日、市川はGLA学部の学生33人、そして教職員たちと共にリトアニアへと旅立った。
[現地にて:2022年2月18日@リトアニア カウナス]
2022年2月18日、リトアニアのカウナスに滞在する市川にリモートでインタビューを行った。市川がまず語ってくれたのは、現地での学生たちの変化である。
「かなり成長したと思います。ブリティッシュヒルズでの合宿でも成長は感じましたが、リトアニア研修では積極性や行動力がさらに高まっている。僕の想像をはるかに上回っているというのが率直な感想です」
印象的だったのが、2月16日の独立記念日のセレモニーだ。広場に数千人の人々が集まり、記念日を祝う場を学生たちも体験した。
「広場では軍人のパレードが行われ、退役軍人のお年寄りもいれば、小学生ぐらいの子どもたちも軍服を着て、敬礼している。観光客も結構来ていて、ヨーロッパ各国の人々にとっても記念になる日であることが理解できました。でも、アジア系の観光客は我々だけ。なかなかできない体験です」
GLA学部の学生たちの近くにいた団体が旗を振り、歌を歌い始めた。市川は何気なくそばにいた学生に「あの団体のところに行ってくれば」と声を掛けた。
「学生たちは積極的に話し掛けて、別れ際には旗までもらってきていました。きっと、『ここしかチャンスはない』と思っていたのでしょう。研修はわずか1週間。その限られた時間で何を持って帰れるか、かなり貪欲に行動をしていましたね。これはオンラインや座学では成長できない部分なので、本当に連れてこられて良かったなと思います」
日本国内で行ったオンライン留学「海外スタディ・ツアー2.0」とリアルに現地を訪れたリトアニア研修の相乗効果も大きいと実感していると市川は語ってくれた。
「バーチャルツアーで訪れた場所に実際に来られたのはうれしかったですね。杉原ハウスでは、杉原千畝さんが実際に使っていた机や椅子が残っていて、学生たちは、そこに座ってスタンプを押すまねをしたり、寄せ書きに名前を書いたり、バーチャルでは決してできない体験をしていました。授業では杉原ハウスの内部だけをオンラインで学んでいましたが、この建物がどのような位置にあり、周りがどんな風景かなど、環境は来てみないと分かりません」
現地でしか感じられないという点では、やはり第9要塞博物館での学生の反応が印象的だったと市川は語る。
「学生の反応が一番あって、最も質問を受けたのが第9要塞博物館です。展示されているものが非常に生々しいんです。大砲や薬きょうなどの兵器に加えて、拷問をしていた部屋も残っている。部屋がいくつもあって、拷問の手法も紹介されている。ショックを受けていた学生も多くいました。日本では戦争の博物館はほとんどないし、そんな拷問があるなんて、見たことも、聞いたこともなかったのだと思います。拷問の部屋にしても、どれほど狭くて、寒いかなど、いかに過酷かは来てみないと分からないことです」
リトアニアでの研修では、事前学習を踏まえたうえで、リアルな体験にガイドの解説が行われる。前述の通り、ガイドのアルビダスさんはGLA学部の目的を理解したうえで、アカデミックな解説を英語で行う。オンラインからリアルへの一連の学びを経験した者だからこそできる「伝え方」を得られると市川は指摘する。
「実際に自分で現場に来ないと、発することができない『本物の言葉』があります。日本に帰ってリトアニアについて語るとき、オンラインだけで学んでいた場合とはまったく異なる話し方になると思います」
リトアニアに来てからの研修は極めて順調であり、「取り越し苦労が多かった」というのが市川の率直な感想だ。学生たちには海外でも使えるSIMカードを渡してあった。自由時間になると、学生たちは事前に調べた情報を活用しながら、思い思いの場所に行く。カウナスは治安も良く、学生たちもハメを外し過ぎることはない。懸念していたリスクは杞憂(きゆう)に終わった。
一方で、このリトアニア研修の最大の難敵は見えないコロナをいかに回避するかであった。
「出発前は、黙食や密にならないことを口うるさく注意していましたが、リトアニアに来ると、それがなかなか難しいと感じました」
リトアニアではレストランやカフェでアクリル板の仕切りなどはない。席もあまり間引いていない。何もコロナ対策が行われていない環境。博物館や美術館など観光客が訪れる場所は、屋内ではマスクをして、アルコール消毒をしているが、地元の人々が過ごす場所ではまったくと言っていいほど何もされていなかった。
「リトアニア人の感覚で物事が行われているので、日本人の常識で黙食やマスク着用をしていると異様な感じになってしまう。学生に日本の常識を押し付けると窮屈に感じてしまうので、各自に注意してもらうだけに切り替えました。見えないものを避けるのは難しい。ある意味では、コロナに関しても日本とリトアニアの異文化を体験できたと思います」
改めて、リトアニア研修の意義を現地でどう感じているか、市川に聞いてみた。
「私自身がこの研修を『やらない』という選択肢を持っていたこと自体が恥ずかしいですね。『百聞は一見にしかず』ではないですが、実際にリトアニアに来られた学生は、私が思っていた以上のことを感じ、成長しています。その経験がここでできていることは貴重なことです」
現地とのリモート取材を行った2月18日、リトアニア研修に参加した学生と教職員は出国に向けたPCR検査を受け、全員が陰性の判定を受けた。翌19日には首都のヴィリニュスに移動し、21日にはヘルシンキ経由で帰国の途に就いたのである。
[帰国後:2022年3月10日@神田外語大学幕張キャンパス]
2月14日から始まったリトアニア研修は、33人の学生と教職員全員が帰国し、無事終了した。「百聞は一見にしかず」を学生たちに体験してほしいと、研修実現に向かって実務面で奔走した市川だったが、研修の最後まで自身が、「百聞は一見にしかず」の経験をすることになった。
2月21日、リトアニアから成田行きの航空機へと乗り換えるヘルシンキ空港で学生のひとりが体調を崩した。後に新型コロナウイルス感染症には罹患(りかん)していないことが判明したが、航空機の機長からはこの体調では搭乗は不可能だと告げられた。学生と市川、そして旅行会社の添乗員がヘルシンキに残ることになった。
空港近くのホテルにチェックインしたが時刻は夜の8時。夜間の診察に対応するクリニックを探し、市内中心部までタクシーを飛ばした。学生は移動中に回復し、医師にも疲れによる体調不良と診断された。そこで、学生、市川、添乗員は翌日の帰国便の搭乗に必要なPCR検査を受けた。
だが、PCR検査の判定は翌22日の夜に出ると告げられた。フライトは午後5時なので間に合わない。急きょ、インターネットで短時間対応のPCR検査を調べ、空港に数時間で結果の出るサービスがあることを突き止めた。3人とも陰性であり、無事、翌日の便に乗ることができたのである。
「帰国して宿泊施設で待機をしていた2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まり、28日には研修で使ったフィンエアーが成田・ヘルシンキ便の運航中止を発表しました。もし、体調不良の学生がPCR検査で陽性だったら、1週間は待機が必要でしたから、帰りの便がなくなっていた。侵攻が1週間早かったら、全員が帰れなかったかもしれない。本当に、あのタイミングしかなかったと今、思います」
危険と隣り合わせの奇跡のようなタイミングで行われたリトアニア研修だからこそ、GLA学部には意義があったと市川は強調する。
「今回のリトアニア研修は安全に帰ってこられる保証のない状況で決行されました。平和を学ぶ学生たちが、自分たちが無事ではない環境で、リトアニアが平和でなかった時代の歴史を学ぶ。大量虐殺が行われた第9要塞の現場を見て、KGBのスパイ活動で射殺される生々しい映像を見る。その状況で『平和ってなんだろう』と考える。ハイリスクのなかでの研修を行う意義はとても大きかったと思います。これは人が言葉で教えられることではありません。危険の中にいるからこそ、危険とは何かが分かる。そして、平和を学ぶには平和の反対側に何があるのかも学ぶ必要があると思います」
コロナ禍において、ほとんどの大学が海外研修を中止するなかで、神田外語大学はGLA学部の海外研修を決行した。学内外からさまざまな批判を浴びながらも決行した理由は、神田外語グループの「言葉は世界をつなぐ平和の礎」という建学の理念を体現する教育の場がGLA学部だからだ。
GLA学部には「世界の課題解決に貢献できる人材を育成する」という明確な理念があり、その基本的な教育方針は、世界の現実を目の当たりにする1年次の海外スタディ・ツアーを発展的な学びの起爆剤とすることである。だからこそGLA学部にとって海外研修の決行はオプションではなく、必須だったのである。
GLA学部の海外研修先の選定から携わり、今回のリトアニア研修にも同行した市川は、目的が明確な海外研修がいかに有意義かを実感した。
「研修に参加した学生は、何を得ようとして自分がリトアニアに来ているか目的意識を明確に持っていました。だから、私たち教職員が言わなくても、学生たちは現地でも積極的に行動していた。それを目の当たりにできたのは大きかったですね」
ひとつエピソードがある。2月18日の帰国に向けたPCR検査が午前中に行われた日、午後は自由行動になっていた。何人かの学生たちは「十字架の丘」に行きたいと言いだした。十字架の丘とは、数万にも及ぶ十字架が建てられた巡礼地であり、周辺国との戦いを続けてきたリトアニアにとって重要な祈りの場である。
十字架の丘は、カウナスからは車で2時間以上かかる場所にある。現地大学担当者の助言を踏まえ、神田外語大学としては、遠距離での⾃由⾏動はリスクが⾼いため許可しなかった。だが、平和を学ぶGLA学部の学生が、独立を願って戦い続けたリトアニア人の精神的なシンボルとも言える場に行きたいと訴えたことこそが、明確な目的意識の現れと言えるだろう。
リトアニア研修での実感をもとに、市川は今後、学生が海外で学ぶうえでの目的意識の重要性を外国語学部の学生の長期留学でも浸透させていきたいと語る。
「長期留学する学生が単位を取得することが目的になってしまい、何も得ずに帰ってくるケースを散々見てきました。どういう目的で留学するのかをもっと深掘りし、学業面でどのように絡め、その後の自分の人生の計画を立てる。でも、必ず失敗するから、そこからリカバリーする。その経験のログを記録し、持ち帰ってくれば、人に聞かれても答えられます。それができれば、就職試験でも必要な人材として採用されるはずです。私自身、アメリカの大学に留学し、帰国後の就職試験で自分が学んできたことをうまく説明できなかった苦い経験がありますからね」
コロナ禍での海外団体研修のプログラムを構築し、現地へ同行した市川に「リトアニア研修を終えて何か意識の変化があったか」と聞いてみた。市川は「恥ずかしいですが」と前置きをして、こう語ってくれた。
「学生には『百聞は一見にしかず』と言っていますが、それは僕自身が一番当てはまります。GLA学部の開設準備でインドやエルサレムに行ったときも、出発前は、『どちらも危険だから学生を行かせる場所じゃない』と思っていましたが、行ってみると現地の文化や歴史に感動して『ぜひ、学生に行かせるべきです!』と意見が変わりました。
そして、コロナ禍のなかで消極的な決断しかできなかった自分がGLA学部のリトアニア研修を実現できたことで変われた。今は、感謝しかありません。コロナ禍で海外への団体研修を企画し、プログラムを構築し、ツアーを催行して、そして無事に帰らせる。どれも初めての経験でした。この年齢で、こんなに初体験ができることなんてありません。そして、リスクを冒して、現地へ行った者にしか分からないことがあると改めて強く感じました」
コロナ禍のリスクが最も高い状況で海外研修を決行したことは、学生の海外派遣を担う国際戦略部の職員たちにとってはかけがえのない経験となった。「リスクを冒して、現地へ行った者にしか分からないことがある」という市川の言葉は、「『解のない課題』の解決策は、自身の使命を覚悟し、リスクを冒しながらも挑戦し、成長した者にしか得られない」と言い換えることができるのだ。
今後、リトアニア研修での貴重な経験が土台となり、グローバル・リベラルアーツ学部、そして神田外語大学全体の海外派遣の企画が立案されていく。市川は「この研修を経験したからこそ導ける企画がある」と強く感じている。
学生が明確な目的意識を持って海外での研修に参加し、失敗や困難も含めた密度の濃い体験をして、将来への道を開くために生かす。コロナ禍でのリトアニア研修は、神田外語大学の教職員を成長させ、海外派遣研修が新たなステージへと大きく進化するための分岐点となったのである。(了)