異文化理解の先駆者たち

第5回 クリフォード・クラーク『日本人とアメリカ人、その懸け橋として』

日本で育ち、アメリカで学んだ自分に最適な
「外国人学生アドバイザー」という仕事

アメリカでの孤独感と日本へのホームシックがひどかった私は、学部を卒業するとすぐに日本に帰りました。1962(昭和37)年から1963(昭和38)年のことです。日本基督教大学や上智大学で学びながら、ホテルオークラで働きました。水上安全法指導員の資格を持っていたので、オークラのプールの管理と水泳指導、そして救助員の職を得られたのです。私には12人の部下がいて、人事部長からは日本の組織のあり方について学びました。

プールの季節が終わると、PR部門の配属となり、観光客向けの雑誌 “Okura Lantern”を創刊し、編集を担当しました。訪れる外国人観光客をホテル周辺へ案内する短いツアーもしましたね。俳優のチャールトン・ヘストンやユル・ブリンナーにも会ったし、女優のシャーリー・マクレーンのお嬢さんに水泳を教えたこともあります。

ホテルオークラでの素晴らしい日々を終えた1963(昭和38)年、アメリカに帰国しました。キリスト教の信仰心が強かった私は大学院で神学も専攻しました。デューク大学のメソジスト派神学部で学んでいたとき、ノースカロライナ大学のパブテスト派の学生センターで、学内牧師のインターンシップをする機会を得ました。しかし、この経験は私にはアメリカ人の大学生と関心や課題を共有できないことを再認識させたのです。私は牧師として大学生のカウンセリングをしながら、アメリカの大学生の心配事や悩みに感情移入できないと気づきました。

そんなとき、ノースカロライナ大学の外国人学生アドバイザーに出会いました。彼は外国人学生向けのプログラムを紹介してくれました。彼のオフィスでは外国人学生を支援するサービスを網羅していました。新入学生のオリエンテーション、住居の紹介、財政支援や勉強、キャリアへの助言、そして個人的なカウンセリングなどです。そのほかにも、留学予定のアメリカ人学生の支援、あまり前例のなかった外国人とアメリカ人が半数ずつ住む国際学生寮の運営、そして学生と教員が一緒になって各国の食や舞踊などの文化を紹介しながら学ぶ国際フェアも企画していました。外国人学生アドバイザーの労働環境や職業としての専門性は、日本で育ち、アメリカで学んできた自分には最適だと自然に思いました。そして「私には変化が必要だ。これこそが私の仕事なんだ」と感じるようになったのです。

大学院を修了した1966(昭和41)年、コーネル大学の国際学生オフィスで、アシスタント・ディレクターの職を得て、外国人学生アドバイザーになりました。これが、その後11年間に及ぶ国際交流教育分野での仕事の始まりです。(3/9)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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