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さまざまな民族が共生し、多文化社会を形成するハワイで、国際理解教育の大きな拠点になっているのがイースト・ウエスト・センターです。昭和59(1984)年に設立された神田外語大学附属の異文化コミュニケーション研究所では、イースト・ウエスト・センターとの交流を図ってきました。平成10年(1998)年には久米昭元副所長が同センターで研究活動を行うとともに、初代センター長であるエヴァレット・クラインヤンズ氏も異文研夏期セミナーの講師として登壇しました。約30年にわたりイースト・ウエスト・センターに勤務し、教育と研修に関する責任者を務めた人物にラリー・E・スミス氏がいます。現在は自身のコンサルタント会社で、培ってきた知見をリーダーシップ開発に応用しているスミス氏を取材しました。
イースト・ウエスト・センターの設立は1960(昭和35)年です。その目的は、アジア太平洋地域の人々とアメリカ人が、研究や研修、調査を共に行いながら、互いに理解を深め、関係を強化することでした。1970(昭和45)年、私はセンターに着任しました。アジア太平洋地域における英語の役割を調査することが私の任務でした。
着任後、さまざまな国から来た学者たちと仕事をしました。働き始めてすぐに気づいたことがあります。学者たちはとても流暢に英語を話しました。でも、英語の使い方がアメリカ人とは異なっていたのです。提案や否定、敬意の示し方といったコミュニケーションのしきたりがアメリカ人とは違っていました。
英語の発音もアメリカ人とは異なりました。それでも、私には学者たちの英語が理解できたし、彼らも私の英語を理解していました。学者たちは、アメリカ英語を理解するための訓練を受けていたし、とても分かりやすく、丁寧に話してくれましたからね。問題は学者同士です。日本、フィリピン、インド、シンガポールといった国々の学者たちは互いの英語を理解できなかったのです。これには驚きましたね。彼らは英語を母国語としない人々との交流について何の訓練も受けていなかったのです。数週間を一緒に過ごすと、それぞれの話し方の特徴に慣れ、理解できるようになっていきました。
私たちには目標がありました。まず、参加する各国の学者が他の国の学者に対して英語で話せるようになること。そして、議論するときには、どのようなテーマでも、自分の国の視点で説明できるようになることでした。
当時、センターに来ていた学者たちは、アメリカという国、アメリカの論点、そしてアメリカ人の考え方については豊富な知識を持っていました。一方で、他の国々のことは深く理解していなかったのです。幸い、それぞれの学者は好奇心旺盛で、各国の文化を学ぶことに興味を持っていました。私たちは、互いの文化について理解を深めながら、強い信頼関係の築くためのしっかりとした土台を作っていきました。(1/6)