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イースト・ウエスト・センターで働くことは、毎日のように異文化コミュニケーションのとてつもない実験を行うことを意味していました。
働き始めた当初は、英語がきちんと通じて、好意を持って接すれば、何が起きても対処できると思っていました。しかし、一緒に働く学者たちからは、「この状況でそんなことを言うのは正しくない」「そんなことをするのは正しくない」と言われます。とてもショックでした。でも、私は彼らの視点に立てていない。私には何か落ち度がある。それは明らかでした。
私は、なぜ自分が正しくないのかを彼らに尋ねました。自分がしたこと、言ったことは、それが礼儀正しくて、ふさわしいことだと教えられてきたのだと伝えたのです。すると学者たちは、「あなたの言葉や振る舞いは、自分たちの文化では適切ではない」と説明してくれたのです。
私はふと気がつきました。英語で話していたとしても、何がふさわしいかは文化によってまったく異なるのだと。大切なのは相手との違いを理解することであり、何が違うのかを気軽に説明できる信頼関係を構築することなのです。誤解は必ず生じます。だからこそ、互いに敬意を払いながら信頼関係を築くのです。そして、誤解が生じたときにはその誤解に気づき、関係を修復するための仕組みを構築することこそが私たちが学ぶべきことなのです。
文化が異なる人との会話というのは、国が違う場合に生じるものだと誤解されることがよくあります。同じ国でも医師と患者では文化が異なります。信頼関係がなければ、患者が医師に伝えることは限られるし、医師の言葉を素直に聞くこともできません。医師と患者が共に日本人であれば、まだ問題は解決しやすいでしょう。しかし、医師が日本人で患者がフィリピン人だとしたら、状況はもっと難しくなります。複雑さは2倍にも3倍にもなるのです。経営者とマネジャーでも文化は異なります。同じ組織内でも、人事部門と財務部門など、部門が違えば文化は異なるのです。
文化背景の異なる人々が共に仕事をするうえで重要なのは目的を共有することです。イースト・ウエスト・センターでは、文化が異なる数多くのスタッフと働いてきました。私にとって、そして他のスタッフにとっても、センターが目指すミッションはとても重要なものでした。目的を共有できれば、誰とでも仕事はできます。宗教の違いも超えられます。宗教はとても重要なものですが、仕事を共にしていくうえでの最も重要な要素ではありません。私たちは、文化的な違いがあったとしても、目的に向かって共に仕事ができるのです。(4/6)