神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第4回 アントン・グディングス神田外語学院第4代学院長『課題と向き合い、言葉を育む』

教員の組合には佐野会長とふたりで対処した。
明け方の4時ごろまで交渉が続いたこともある。

佐野隆治会長とは、ずいぶんと色々な仕事を一緒にしました。彼はずっと事務長だったから、私とは仕事面で接点が多かったですね。

私が、正職員になってからは、組合への対応も一緒にやりました。外国人の先生方の組合です。総評(日本労働組合総評議会)が労働運動のプロを送り込んでくるわけですよ。彼らは大学も出ているし、英語もしゃべれる。頭も切れますよ。そういう人が、学院の過激な先生に知恵を与える。外国人の先生が日本の労働運動のテクニックを知っているわけがありませんから。

外国人の先生は、日本の制度に不満を持っています。私には彼らが何を感じて、何を言おうとしているか、たいていは分かりましたよ。待遇を英国なみにしろ、アメリカなみにしろ、と彼らは主張します。労働時間を減らして、休暇を増やせよと。だけど、それは無理な話です。日本にまだ3年ぐらいしかいない先生が組合の副委員長になっている。日本に長く住んでいる先生方は、そういう活動には加わりませんでしたよ。

私には彼らの主張が理解できるから、佐野会長とふたりで対処しました。明け方の4時ごろまで交渉が続いたこともあります。労働時間も減らしたし、授業のほかに学生の評価をする時間も認めました。そんな待遇の専門学校なんてほかにはありませんでしたよ。

昭和57(1982)年、私は神田外語学院の副学院長になりました。学院の職員になって4年目のことです。教育の世界では四季折々にさまざまな行事があります。でも、きく枝先生は「私はもう歳だから、行事に出るのはしんどい。あなたに任せるから」と言って、私を副学院長に任命したのです。

昭和63年(1988)年1月11日、大学が開学した1年後に、佐野きく枝理事長がお亡くなりになりました。事務長だった佐野隆治さんが、佐野学園の理事長、そして神田外語学院の学院長に就任しました。(6/9)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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