神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第4回 アントン・グディングス神田外語学院第4代学院長『課題と向き合い、言葉を育む』

タスクを解決しようとすれば
学生は自然と努力するようになりますよ。

話は少し遡りますが、1980年代になると佐野きく枝先生と佐野隆治会長は大学の設立に向けて本格的に動き出していました。学院で学び、大学でさらに学問を続けたいという学生がいたのですが、受け皿になる大学がない。英語に関する力はしっかりと身につけているのに、高校生と一緒に受験して、1年生からやり直さなければならないのです。そんな学生たちが編入できる大学を設立したという想いがおふたりにはありました。

大学の設立については、私もずいぶんとお手伝いをしました。学院の教員を採用するうえで、英国やアメリカの大学とパイプができていました。そのひとつにハワイ大学の教育学部があったのです。ジャック・リチャーズ教授という知り合いがいて、彼に神田外語大学へ来てもらうよう要請をしました。ただ、彼が来られなくなり、フランシス・ジョンソンという教授を推薦してきました。

私はジョンソン先生に、「この大学を世界レベルの大学にしたい」と伝えました。ジョンソン先生は、その気持ちを分かってくれて、それなら手伝おうと日本に来ることを快諾してくれたのです。

ジョンソン先生は、外国人に英語を教えるためのテキストをたくさん書いていました。大学開学のために来日したジョンソン先生に、私はひとつの相談をしました。神田外語学院のカリキュラムの改革です。それも根本的な改訂を私はすべきだと思っていたのです。

私の母国語は英語です。日本語は、日本で生活し、仕事をするうえで、必要に迫られてしゃべれるようになったのです。仕事をしながら、敬語も覚えました。日本語の敬語は難しいですよ。でも、貿易の仕事で年上の方と話をすれば、敬語を使えなくてはならない。目的があったから、課題があったから、しゃべれるようになったのです。

学院でもそういった授業ができないかと考えていました。学生に課題を与えて、その解決を通じて必要な言語を学ぶようにするのです。目的があれば、言葉を使って説明もするし、説明も受けなければならない。その状況があれば、学生は自然に努力するようになりますよ。

ジョンソン先生と話しているうちに、それが「タスクベース」という考え方であり、英語の教育法では先端の分野であることが分かりました。では、誰に手伝ってもらえばいいか。カリキュラムを作り直して、新しくテキストを作るのであれば、市販しても売れるぐらいの内容にしたい。第二外国語としての英語教授法の研究で中心的な人物でなければいい成果は生めない。そうやって絞り込んでいくと、候補者は世界に10人ぐらいしかいないんです。

ジョンソン先生は、タスクベースの分野で最先端の研究をしている人物に、クリストファー・カンドリン教授がいると話してくれました。英国人で、当時はオーストラリアのマッコリー大学で研究をしていた人物です。もうひとりは、ディヴィッド・ヌーナン教授です。彼はカンドリン教授よりも少し若かったけど、ジョンソン先生いわく、かなり頭の切れる方で、とても優れた教材を書ける研究者だというのです。

おふたりと友人だったジョンソン先生は、「まずは日本に呼んでみるから、会ってみましょう。よかったら話を進めればいい」と提案してくれました。ジョンソン先生の橋渡しで、来日が実現し、カンドリン、ヌーナン、ジョンソン、そして私の4人で色々なアイデアを出しながら、学院のシラバスの青写真を描きました。ただ、時間もかかるし、莫大な費用もかかることも分かりました。

当時、きく枝先生の後を継いで、理事長になっていた佐野隆治会長に資料を使いながら説明をして、このプロジェクトができるかを相談しました。佐野会長は、「その結果が出るんだったら結構ですね。先生、それ進めてください」と了解してくれました。言われたのは、ただそれだけです。すごい責任感を感じましたね。

カンドリン、ヌーナンの両教授は正式にコンサルタントを引き受けてくれました。世界でもひっぱりだこのおふたりが引き受けてくれたのは、ジョンソン先生との信頼関係が大きかったと思います。(7/9)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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