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50th Anniversary -Interviews-
ジョンソン先生と話して、ELIの教員には、修士号を持っていて、博士課程を目指している若者たちを採用することにしました。大学生に教えるのだから若いほうがいい。博士課程に入るための研究も応援しています。第二外国語としての英語教授法の研究では世界的な権威であるクリストファー・カンドリン教授やデイヴィッド・ヌーナン教授にコンサルティングをお願いして、両教授から直接、ELI教員の論文指導をしていただきました。それに、研究発表の費用も出しています。きちんと研究をして、なおかつ発表もしているから、ELIを終えてから、博士課程にもすっと入れるのです。
ELIはたった4名の専任講師とジョンソン先生で始めた。でも、少しずつ規模が大きくなり、神田外語大学の大きな特徴となりました。今では、熊本や広島、大阪の大学に英語教育の「大学間教育連携」としてシステムごと導入されています。
神田外語で培った英語教育を外に出していく、という考えはずいぶんと以前から持っていました。昭和40年代から50年代の神田外語学院が伸び盛りだった頃、大手の簿記学校にしても、予備校にしても、全国展開を図り、規模を大きくしていった。「神田外語さんは、なぜ地方校を出さないですか?」とよく聞かれたものでした。でも、自分たちの考える英語教育は違う。人間教育も含めて、神田外語学院で教えられるレベルに教員を育てようとすると10年はかかります。人を育てることは難しいですよ。
正直言うと、学院をもっと大きくしたいと思ったこともあります。でも、考えてみると、予備校や簿記学校はスキルを教えて、試験に合格させればいい。人を育てる教育とはちょっと違う。でも、神田外語は人を育てることを目指している。だからは無闇に全国に広げるようなことをしなくてよかった。それをやっていたら、今頃、おかしくなっていましたよ。
地方校ではなく、大学を作るという方向に定めて、大学ができてからは、ジョンソン先生のELIができて、これならシステムごと持っていけると思うようになりました。教育連携するパートナーの大学には、「必ず成果を挙げます」と約束する。システムごと売って、でも、学校の運営にはタッチしないんです。だから、成果を挙げることに集中できるのです。
振り返ってみれば、大学を創ろうと思ってから開学まで10年かかった。神田外語学院の本館と3号館ができて、学生がたくさん来てくれて、大学を創る資金ができて、大学も創っちゃえと簡単に考えていた。でも、10年かかった。僕はせっかちだから、思いついたらすぐにやる。すぐやって失敗したこともたくさんある。やっぱり時間がかかったことのほうがこなれている。思いつきだけでできたことは、よくよく考えてみると大したことではないことが多いですよ。もう少し物事は慎重になるべきだと、最近は思うようになりましたね(笑)。(5/8)