本物の英国文化を体現させるために

第6回 川田雄基ブリティッシュヒルズ名誉館長『本物の英国があることに誇りを持つ』

「国内にパスポートのいらない外国を創りたい」
昭和38(1963)年に外国語学校を創立した佐野公一初代理事長は、学生たちの学習効果を高めるために、バスでも行ける国内に外国と同じ環境を創ることを着想しました。その想いを結実させたのが、平成6(1994)年7月に開館した「ブリティッシュヒルズ」です。開館の前年、世代を超えて英国との数奇な縁を持ち、英国文化への深い造詣を持つ川田雄基氏がブリティッシュヒルズに参画しました。ブリティッシュヒルズの「文化の語り部」としての人生を全うする覚悟をお持ちの川田名誉館長に、日本で初めての英国文化を体験できる国際研修施設がいかにしてスタートしたかをお聞きしました。

佐野隆治会長に初めてお会いしたのは平成5(1993)年のことでした。私は三菱商事に勤めていたのですが、ある部署から、「神田外語学院の理事長が英国に詳しい人を探しているんだが、会ってくれないか」と相談を持ちかけられました。まぁ、軽い気持ちで参上しましたよ。

事務所にお伺いしてみると、驚きましたね。すごい設計図と模型があった。ブリティッシュヒルズの設計図です。何でも、本物の英国の村を作るということでした。ただ実のところ内心では、それを見せられたとき、「こんなものが日本にできるわけないだろう」と思ってしまいました。すると会長はすかさず、「川田さん、現場を見てくれませんか」と言われた。きっと、心の内を見破られていたのでしょうね。

それから2、3カ月後のことです。ふたたび佐野会長から連絡をいただきました。会長は、「案内を付けるから現場を見てくれないか」と言われました。福島の現地に着いて、ヘルメットを被って、工事現場に入った。驚きましたよ。まだ、マナーハウスは骨格しか出来ていなかったけど、礎石の積み方を見ただけでこれは本物だと判かった。裏に回っても、どこにも手抜きがない。360度、死角がない。これは大変なものだと思いました。

その場で私は思った。これだけの建物があるのなら、英国の景観もなければダメだと。当時、私は三菱商事の名刺しか持っていないのに、現場の作業員に「その石は捨てるな、こっちに持ってこい!」って、わめき出していた。

私は英国のムアーをイメージしていたのです。ムアーっていうのは荒野(あれの)のこと。シェイクスピアのリア王が精神異常をきたして彷徨う荒地です。現場で掘り起こされていた大きな石は、きっとそんなイメージを喚起する舞台装置になると直感的に思った。マクベスの3人と魔女が出会う場面でも使える。とにかく、その時からワーワーと騒ぎ始めたわけですよ。

東京に戻り、佐野会長にふたたびお会いしました。「とにかく、こんな面白い仕事はないから、ぜひご用命ください」と言いました。三菱商事の名刺しか持ってなかったのに、現場で石をめぐって騒いできたことを熱く語ると、会長がニヤッと笑われた。こんな風にミイラとりがミイラになったわけです。私は三菱商事をすっぱりと辞め、背水の陣でブリティッシュヒルズの立ち上げに参加することを決めました。

思い返せば、会長にお会いしたのも、福島の現場に行ったのも、よく都合が合ったなと思います。私は、学生の頃に、ケンブリッジ出身の家庭教師に英語を学んで以来、大変なアングロファイル(英国びいき)になりました。その後、商事会社で海外を飛び回りながらも、英国に駐在する機会はありませんでしたが、58歳にして、大好きな英国の文化に関わる仕事ができる機会を得た訳です。それはきっと、天国にいる私の祖父や伯父がうまく操ってくれたのだと思いましたね。(1/7)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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