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印象深かったのは臼井先生(※1)や青沼先生(※2)の授業です。おふたりともレトリックが専門でしたが、論理的、批判的に物事を見て、考える姿勢を学びました。深夜のファミレスで友人たちと「死刑制度」についてディベートの準備に没頭していた思い出があります。1回目のディベートは死刑肯定側。その後すぐに死刑否定側に立つ準備を始める。みんなで「こんなこと続けたら精神的におかしくなるよね」と言っていました。でも、その学びは物事を見るうえでの振り幅を持たせてくれたと思います。
大学3年生の時は、親友たちと組んでいたバンドに臼井先生が参加してくれました。ライブを企画して、ステージの構成を考える。臼井先生と一緒に活動したことで、単に自分たちの自己満足で演奏するのではなく、どうすれば観客に満足してもらえるライブが作れるかを議論できました。教員である臼井先生とそんな時間を過ごせたのはとても貴重な体験でした。その結果として、ライブの後に友人たちが演奏やステージを評価してくれたことも、今になってみれば、教員として学生の前に立ち、授業をする下地になっています。
3年のゼミは異文化コミュニケーションの久米先生(※3)でした。翌年には立教大学に移られたので最後の年でした。1年間、ゼミで研究をして、まとめの発表をした時のことです。テーマは携帯電話によるコミュニケーションでした。僕が発表を終えると久米先生は、「とても興味深いですね。もしかすると、数年後、あなたはこういったテーマをアメリカで研究されているかもしれませんね」と言いました。当時の僕は留学なんて考えていなかったから、ただあぜんとしました。でも不思議なもので、久米先生の言葉通りになっていくのです。4年は桝本先生(※4)がゼミの担当になり、3年の時のテーマを掘り下げていきました。
自分は会社組織にはなじめないというのは分かっていたので就職活動は積極的になれませんでした。その時、ふと大学1年の留学で起きたことを思い出したのです。
大学1年の冬、大学の語学研修プログラムでイギリスに留学したのですが、同じ家庭でホームステイをしていた先輩が亡くなりました。自らの命を絶ったのです。僕は翌日に別の家庭に移り、残りの数週間を過ごしました。留学を終えて成田空港に到着した時、学長を務めていた石井米雄先生が空港に出迎えに来てくれたのをよく覚えています。きっと、とても心配されていたのでしょう。(2/8)