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学生はこれからの人生でさまざまな立場に立つ可能性があります。疲れるまで悩み、考えるもうひとつの必要性は、他者との関係性で生じるコミュニケーションの多様な課題を少しでも自分自身で解決できる力をつけるためです。
英語を学ぶこともコミュニケーションにおける立場に作用します。例えば、「外国語学部で学んでいます」と説明した時に、「専攻の言語は?」と聞かれて、「英語です」と答えれば多くの人は「ああ、英語。勉強すれば役立つね」と納得してくれると思います。でも、英語以外の言語名を答えると、「なぜその言語を学んでいるの?」と問われることでしょう。この事例は「外国語を学ぶことは、すなわち英語を学ぶこと」であると思われる傾向が強いことを示しています。
もちろん、英語を学ぶことはコミュニケーションの幅を広げるうえで有効です。しかし、英語だけに価値を置きすぎて日本語や他の言語に関心を持たなくなると逆に視野を狭めかねません。海外は英語圏だけではありません。世界には多様な言語があり、多様な話者がいます。英語はそのひとつに過ぎないという客観性を持つことも大切なのです。
英語への偏りが過ぎると、英語の能力が高いことで自分は「強者」であると思ってしまうことがあります。しかし、人はコミュニケーションをする際に強者の側に立つときもあれば、弱者の側に立つこともあります。どちらの立場にもなりうるのです。学生たちにはコミュニケーションを構造的に見られるようになって、どのような状況に置かれても、自分や相手の立場を安易に決めつけない姿勢を養ってほしいのです。
僕は学生の固定的な考えを解きほぐそうとします。思考が柔軟になれば、そこに自発的な「気づき」が生まれます。その気づきは物事への視点に選択肢を与えてくれます。相手や生じている問題との距離感や位置関係を教えてくれます。その貴重な気づきは、日常的な体験でいくらでも得る機会があるのです。
きっと僕自身が学生時代を通じて、強者の側に立つ人や権力を持った人のことを魅力的に思うことがあまりなかったので、今、こういう視点で教育に臨めているのだと思います。僕は大学時代からコミュニケーションを学び、学生への教育を探求し続けてきました。その姿勢は変わっていません。でも、自分自身も経験とともに年齢を重ねていくなかで、社会的な立場も変わっていきます。そのなかでの葛藤はありますが、そこに自覚的にいることでさまざまな視点を保ち続けることができるのだと思います。(7/8)