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平成28(2016)年4月、名城大学の外国語学部国際英語学科の准教授に就任しました。不思議な縁で、着任したナゴヤドーム前キャンパスには神田外語グループが運営をする「グローバルプラザ(※6)」がありました。また、平成29(2017)年の8月には神田外語大学の夏期集中講座で講師を務めました。名古屋にいながらにして、神田外語とのつながりはしっかりとあるようです。
日々の授業のなかで、学生たちに一番伝えたいと思っているのは、コミュニケーション学は単に相手と伝え合う技術を学ぶものではないということです。
まず自分がいる。そして相手がいる。そこに関係がある。相手はこう考えていると決めつけると、適切なコミュニケーションは成立しない。だから、まずは相手の話をしっかり聴いて、相手を知る。話を聴くだけで、関係が強くなるときもあります。
相手を知ると、自分がそこに何かを感じる。それは、自分を知ることを意味します。自分を知り、相手との関係を知ることで、何か霞(もや)がかかっていたようなことが晴れていくかもしれないし、晴れないかもしれない。良い、悪いではなく、相手とのコミュニケーションを構造的な側面から捉える。コミュニケーション学にはそんな視点があると思います。
この構造をうまく捉えられないと、不都合なことが起きた時に相手を責め、自分を責めてしまい、コミュニケーションが難しくなります。コミュニケーションが成立しない責任は個人ではなく、構造にあると考えれば、気を病む必要もないし、解決する方法だって見つけようがあります。例えば、学生が外国人と英語でうまく話せなかったとしても、僕は決して「君の英語力が低いからだ」なんて言いません。話した相手が話を聞こうとしなかったのかもしれないし、他に英語で話すことを妨げる構造的な原因があったかもしれないのです。
自分の感情や先入観に流されず、コミュニケーションを構造として見ていくという行為には訓練が必要です。ですから、学生に課題を与えても、僕自身は答えを出さないことがほとんどです。学生が自分で考え、「先生、こういうことでしょうか?」と聞いたとしても「君がそう思うのなら、そうじゃないの?どうしてそう思う?」と問いかけます。学生は簡単に答えが出ないことに混乱し、考えることに疲労します。でも、そこまで考えると教員が想像できないような答えに気づくこともあるし、考え抜いたこと自体が次へのステップになります。(6/8)