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50th Anniversary -Interviews-
英語学習熱の高まりとともに、昭和40年代の終わりから急成長を遂げた神田外語学院では、「外国に行けない学生たちにも異文化の体験をさせたい」という信念のもと、語学研修施設の計画に乗り出しました。その想いは、福島県天栄村の高原でイギリスの環境を再現した「ブリティッシュヒルズ」として結実しますが、完成までの道のりは決して平坦ではありませんでした。かつてない研修施設を実現した佐野隆治会長に、ブリティッシュヒルズへの取り組みと異文化理解を深めることの意義についてお聞きしました。
神田外語学院は、外国人のネイティブ教員をどこよりも数多く採用して、生きた英語にふれる機会を提供していきました。昭和40年代半ばから昭和50年代にかけてです。その教育方針は社会にも認めていただいて、学生の数はうなぎ登りに増えていきましたね。
ただ、学校があるのは神田ですよ。校舎から一歩出れば、飲み屋街です。せっかく英語を覚えてもすぐにかき消されちゃう。それに外国語っていうのは、朝から晩まで使っていないとなかなか身に付かない。親父(初代理事長佐野公一氏)も学院長として現場を見ていたから、それは分かっていた。力を入れたのは語学留学です。カナダのバンクーバー、アメリカのアリゾナ、そしてイギリスへと提携する学校を増やしていきました。でも、すべての学生が留学できるわけじゃない。行けるのは全体の2割ぐらいだったかな。
留学できない学生たちにも、外国の環境で語学を学ばせてあげたい。そう思ったんです。そこで僕は、「バスでも行ける国内に、朝から晩まで英語に浸れるような合宿所を建てたい」と親父に言ったんです。外国の環境を創って、そこで寝泊まりしながら外国の文化と歴史を学べるような施設を創りたかった。親父は、「それはいい、ぜひ創りなさい」って言ってくれましたね。それが平成6(1994)年にオープンした「ブリティッシュヒルズ」の始まりです。
僕には当時からある考えがありました。中学、高校の修学旅行は絶対に変わると思っていたんです。東京など関東の学校であれば、奈良や京都に行きます。昔は、奈良・京都と言えば、一生に一度、行けるか行けないかという場所でした。でも、東海道新幹線が開通してずいぶんと近くなったし、テレビでもどんな様子かは見られるようになった。それに、仏教への関心も薄れてきている。クラス全員でわざわざ行くような時代はそろそろ終わるだろうな、と思っていたんです。(1/8)