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不思議なご縁ですが、当時、東京外国語大学の学長は小川芳男先生でした。英語教育の大家であり、後に神田外語大学の初代学長になられた方です。小川先生とは学食でカレーライスを食べながら話をした記憶があります。考えれば生意気な学生ですよね。
先生はよく「お前、ドイツ語ばっかりやってちゃダメだぞ」とおっしゃっていました。僕が「えっ、どういう意味ですか?」と尋ねると、「文化や芸術、歴史。言葉の背景にあることをたくさん学ばなくちゃダメなんだ」とおっしゃるのです。まさに、その精神は神田外語大学の教育にも受け継がれていきました。
学生時代の大きな体験のもうひとつは昭和39(1964)年の東京オリンピックです。大学1年生の時だったから、ドイツ語もまだあまり上手じゃなかったけれど、代々木の選手村に行って、選手たちの買い物に付き合い、通訳をしました。
当時、ドイツは東西に分かれていました。東京オリンピックの時に初めて統一選手団を作った。選手たちは東も西も、区別や差別なく付き合っている。オリンピックが終わったらまた別の国になるけれど、そんなの関係ありません。やっぱり人間っていいなぁと思ったし、東西を隔てる壁なんて関係ないんだと感じました。
国際スポーツ大会でのボランティアと外国語大学の学びには親和性がすごくある。人間には喜びを感じるときが大きく3つあります。まず、他者から認められたとき。次に人とつながったとき。そして、人に貢献できたときです。この3つです。スポーツボランティアであれば、自分の専攻言語で外国人と交流して、人の役に立てる。なんとも言えない喜びです。ぜひ、神田外語大学の学生にも体験させたい。できれば世界規模の大会で。世界観が広がりますよ。
スポーツの世界大会で外国語を使ってボランティアをすること。それは、与えられた「舞台」なんです。演劇と同じです。舞台に立つということが、若者にはとても大切です。積極的に舞台に立つ経験をしていくことで、人生は大きく変わりますからね。
卒業後は第一銀行に就職しました。僕の専攻だと、ドイツの得意とする精密機器メーカーが就職先として多いのですが、メーカーの仕事だと僕は飽きちゃう、絶対に。色んなことをやれる会社といえば銀行か商社です。第一銀行の面接に行ったら、最初は「ドイツ語専攻は採用しない」と言われたのですが、後日、「2、3年後にはドイツ支店を作るみたいだから、うちに来い」と言われ、採用になりました。ただ、僕は主には労務畑に進み、ドイツに赴任することはありませんでした。人事担当として世界中に出張しましたが、ドイツへの出張は退職する前の2泊3日のみ。仕事ではドイツとの縁はありませんでしたね。(2/7)