神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第23回 酒井邦弥神田外語大学第5代学長 『学生が成長する舞台を作るために』

「おまえ、よく怒られるよな」と
佐野会長にはよく笑われました

第一銀行に入社して最初に配属されたのは神田支店です。取引先のひとつに佐野学園がありました。当時は、神田外語学院の学生の数がものすごい勢いで伸びていた時期です。

僕が任されていたのは単純な集金業務です。学校や個人のお金を預かって銀行に持ち帰るだけですが、よく間違えてしまった。それで、佐野きく枝先生(当時、神田外語学院副学院長)にはいつも怒られました。すごく厳しい人だった。佐野隆治会長(当時、事務長)には「おまえ、よく怒られるよな」と笑われていましたね。

きく枝先生は教育、特に若い人へのしつけに厳しい方でした。学生に対しても、きちんとするよう指導していました。最近になって、きく枝先生を知る方と話をすると「あんなに優しい方はいなかった」とみんな口を揃えて言うけれど、僕にはちょっと違った。それと、佐野公一先生(当時、佐野学園理事長・神田外語学院学院長)は、近寄りがたい雰囲気でした。とても迫力のある方でした。

そうやって神田外語学院へ集金で通っていた時に、佐野隆治会長に、「酒井くんはどこの大学出身なんだ」と聞かれました。「東京外語大です」と答えると、「外国語大学を出て銀行に入ったのか。珍しいな」と言われました。ご本人に確認したわけではないですが、そのやり取りが残っていて、その後のご縁につながったのかもしれません。

佐野会長とは、その後、ずいぶんとお会いしていない時期がありました。昭和62(1987)年4月に神田外語大学が開学して、その後、平成6(1994)年4月に福島のブリティッシュヒルズを開業しました。僕は銀行で人事の仕事をしていたのですが、佐野会長が久しぶりに訪ねてきてくれて、研修でブリティッシュヒルズを使ってくれないかと提案されたのです。当時は理事長でしたから、トップ自らが営業に回っていたんですね。

僕は32年間の銀行員生活で2回、他行との合併を経験しました。第一銀行と日本勧業銀行が合併して第一勧業銀行になり、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の三行が合併してみずほ銀行になった。2回目の合併の時は第一勧業銀行の専務取締役で、調整業務の最高責任者でしたから、最終判断をしなければならなかった。対等の合併だからプライドがぶつかり合う。きつい仕事でしたね。

銀行によって使う言葉さえ違う。例えば、融資のことを、ある銀行では「貸出金」、別の銀行では「貸出」、また別の銀行では「貸金」と言う。そういった細かいことを、一つひとつ統一しなければならないのだから、これは大変です。(3/7)

学校法人佐野学園:理事長室・いしずゑ会
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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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