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さすがに即答はできませんでした。でも、考えている期間に大学を訪れて、学生たちの顔を見ているうちに気持ちが少しずつ変わっていった。なんか、温かくなってきたんですよ。
僕は銀行の仕事で疲れ果てて、燃え尽き症候群になった。でも、神田外語大学の学生たちの顔を見ていると、心が温かくなって、自分のこれまでの人生を投入すれば、こいつらを幸せにできるかもしれない。そう思い始めた。学生たちの人生に関わって、幸せにしたいと思えた。他人の評価は別として、自分ができることはすべてやる。神田外語大学の学長をお引き受けしました。
学長をお引き受けした直後に、偶然、石井米雄先生に会いました。石井先生は「酒井さん、聞いたよ。神田の学長やるんだってな?」とおっしゃったので、「僕なんかにできるんですかね」とお答えしました。すると、「大丈夫だよ。神田は大丈夫だ。教員も職員も優秀だから」と太鼓判を押してくれました。実際、学長になってみると、職員たちは佐野会長に鍛えられ、そのDNAを受け継いでいるし、教員も言葉の背景にある文化を教える意味を理解し、教育を実践していました。
平成22(2010)年4月に学長になって、最初の年度が終わろうとした平成23(2011)年3月11日、東日本大震災が起きました。現地にボランティアが入って瓦礫を片付ける映像が連日報道される。学生たちからも何かしたいという声が挙がりました。
僕は佐野元泰理事長と会ってこう話しました。「うちの学生が炊き出しをする必要はないと思います。被災地には、学校がない地域があり、教員が足らない学校があります。教育復興ボランティアのほうが、うちの大学には合っていると思います」。そこから始まったのが「東日本大震災復興教育ボランティア」であり、それは今でも続いています。
被災地の学校に行って英語を教える。学生たちにとっては、本当にかけがえのない体験になる。教室では学べないことを学び、感受性の強い若者たちはその経験でどんどん変わっていく。
ボランティアに参加している学生たちを見て、神田外語グループの学生ってすごいなと思いますね。学生たちは「やってよかった」「あの体験がなければ今の自分はないです」と話してくれる。やっぱり若さはいい。僕らの想像を超えている。僕らは、こういった仕掛けをどんどん作っていかなくちゃいけない。人のために役立つ喜びは、何にも代えがたいものがあるんです。(5/7)