神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第20回 佐野きく枝 神田外語学院第2代学院長『心の交流が争いのない世界を創る』

たくさんの国に友人ができれば、あの国と
争うのはよそう、という若者が増えてくるだろう

佐野きく枝は、生涯を通じて、教師として学生を愛し、社会に送り続けた。彼女は、その実践のなかで、異文化理解教育の本質を見極めていった。昭和54(1979)年、雑誌『婦人公論』である提言をしている。公一が逝去した翌年であり、大学設立に向けて本腰を入れ始めた年に掲載された記事である。

「日本は経済大国とか、世界最大の黒字国だとか言われますね。国内では、高校の卒業生は毎年、140万、150万人にも昇っています。私は、その卒業生の何分の一でも良いから、国の費用で1年ぐらい外国で働いてくる制度ができないかなあ、と考えているのです。1人1人に200万円ほど出してやる。その代り、行った先の国では一銭も稼いではいけない。完全な奉仕のかたちで、外国で働いてくる。それは、すなわち日本の黒字減らしに役立つし、本人は見聞をひろめて帰ってくる。なによりも大切なのは、行った国の人たちとふかいコミュニケーションが得られることでしょう。

素朴な言い方ですけれど、たくさんの国に友人ができれば、あの国と争うのはよそう、まして、彼らと殺し合いなどできやしない、という若者が増えてくるだろう。そしてその人たちが壮年に達して、国内的・対外的に活躍できる立場になったとき、結果は、おのずとあきらかになるのだろうと思うのです。いろいろ体験をすれば、ほんとうの自分が見えてくる。それから自分の進路を定めれば、しっかり勉強できるんじゃないでしょうか。」(※12)

きく枝の提言は、神田外語グループの「言葉は世界をつなぐ平和の礎」という理念の具体策を表している。国が主導して、日本と異国の若者どうしの心の交流を図り、平和を実現する。それは、グルーバル社会に飲み込まれている日本が、今まさに実践しなければならない、「きく枝先生からの宿題」なのである。(7/7)

写真上:佐野きく枝先生(神田外語学院
校友会『平和の礎』 より)
写真下:神田外語大学の本館にて。
大学開学を見届けた佐野きく枝先生は
初年度が終わるのを待たずに逝去された。
(池田弘一氏提供)

佐野きく枝(さのきくえ)
明治39(1906)年1月、福井県鯖江市に生まれる。鯖江裁縫女学校を卒業後、大正14(1925)年に小学校の教師に。上京後、昭和6(1931)年に佐野公一と結婚。昭和32(1957)年、後に神田外語学院となる英会話学校を設立し、以来副学院長として学校経営と学生の教育に情熱を注ぐ。昭和53(1978)年、公一の逝去に伴い、佐野学園理事長、神田外語学院第2代学院長に就任。神田外語大学が開学した翌年、昭和63(1988)年1月11日、永眠。享年82歳。  

  1. 「対談 心の触れあう教育を」より
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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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