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50th Anniversary -Interviews-
佐藤徹が最初に手がけた仕事は、職員の就業規則や給与規程の見直しだった。神田外語学院は開校以来、規模を拡大し続けてきた。学生の教育を最優先する学院では、どうしても職員の待遇の見直しは後回しになってきた。
「当時の専門学校では、『労働基準法に違反をしなければよい』という考えが一般的でした。大学の設置基準でも職員の就業規則は特に必要ありませんでした。しかし、佐野学園は大学を持つ学校法人になるのだから、就業規則もしっかりさせなくてはならない。新しい職員がどんどん入ってくるのだから、規則は絶対に必要だったのです。その思いは佐野理事長と私に共通するものでした(※1)」
佐藤は前職での人事部長時代に、労務担当として会社の就業規則を作成した経験があった。佐藤はまず市ケ谷駅近くにある私学会館に通い、他大学の就業規則を研究した。そして、日本生産性本部の主任研究員だった楠田丘から指導を受けながら、どのような就業規則にすべきかを詰めていった。
重要視したのは就業規則に建学の理念を盛り込むことだ。佐藤は前職の広告部時代に全国の私立大学を回ったことで、私学は建学の理念に基づいてこそ存在の意味があると痛感していたのである。
就業規則ではまず、「言葉は世界をつなぐ平和の礎」を土台とする建学の理念を書き、佐野学園に奉職するうえでの心構えを記した。そして、「佐野学園は学生を教育するところであり、職員についても人を育てることが第一である」という学園の方針を具現化するために、「人材の育成」「職員教育」「自己研鑽」を三本の柱としながら、規則を定めていった。給与規程については、年齢や奉職年数だけでなく、能力給とそれに必要な査定も盛り込んだ。
就業規則と給与規程は原案通り承認されたが、佐藤は佐野隆治の決断の大胆さに驚いた。
「特に給与規程については導入すれば大幅な増額が伴うものなので、即断されたのには驚きました。もちろん、佐野学園の財務状況は豊かでしたから、これぐらいの増額は受け入れられるだろうという見通しはありました。それにしても、佐野隆治理事長の腹の太さと決断の速さを身にしみた最初の出来事でした(※2)」(3/8)