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50th Anniversary -Interviews-
佐藤徹は、開学3年目の平成元(1989)年4月に神田外語大学の事務局長に就任した。大学では月に1回、教授会が開かれるが、その形式が他大学にはないものだった。議長は学長であるが、その隣に事務局長が座るのだ。この独自の形式こそが、佐野学園の「意志の表れ」だといえるだろう。
開学当時の神田外語大学は、学長の小川芳男はもちろんのこと、4学科(英米語学科、スペイン語学科、中国語学科、韓国語学科)の学科主任もすべて東京外国語大学の出身者だった。事務局でも国立大学の実務経験者が重要なポストを占めていた。いわば、国立大学的な風土が強かったのである。
私立大学の経営方針は、学校法人の理事会が決めるものであり、その根底には建学の理念がある。だが、国立大学出身の教員たちは、その原理原則を理解しながらも、本音では「理事会は大学運営には口を出さず、教授会に任せてほしい」と考えている。理事会をないがしろにしようとする教授会に釘を刺すために、佐野学園の理事会は事務局長の佐藤を議長の隣に座らせたのである。
事務局長に着任した佐藤は、教員の定年退職の年齢などの就業規則づくりに着手した。教授会では、一部の教授たちは声を荒らげて「約束が違う!」「そんな話は聞いていない!」と佐藤に詰め寄った。しかし、佐藤は前職で出版労連の猛者を相手に団体交渉の矢面に立った人物である。教授会では余計なことは言わず、一人ひとりの教員と個別に交渉することで、きちんと事態を収めていった。
そんな教授会での激論の様子が佐野学園の理事会に伝わったことがあった。理事会から急遽、呼び出しがかかり、佐藤は東京・神田の佐野学園本部に足を運んだ。数人の理事からは「弱腰では駄目だ、もっと強く出ろ!」と指摘された。
「私は教員の方々にまったく動じていませんでした。私立大学の経営において理事会が優先するのは当然です。それなのに、理事の方々からそんな指摘をされてしまったので、『理事会の方針通り、一歩も引かずに対応しますから、後ろから鉄砲を撃つのだけはやめてほしい』と言わせてもらいました。佐野(隆治)理事長は笑っていましたね。理事長は落語がお好きな方です。あんな場で『後ろから鉄砲を撃つ』なんて表現をしたのを面白がっていたのかもしれません」(6/8)