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日本国内にいてもイギリスと同じ環境で英語と文化を学べる施設を学生たちに提供したい。平成6(1994)年、神田外語グループはホテルを兼ね備えた国際研修施設「ブリティッシュヒルズ」を設立しました。日本国内で真のイギリスを体現する。そのコンセプトを実現するために、サービス部門のリーダーとして16年にわたり奉職した人物にジョン・レナルディ氏がいます。かつてない教育施設を実現するために、イギリス文化を代弁する大使として奮闘したレナルディ氏の体験をひもときます。(構成・文:山口剛、写真:山口雄太郎 / 文中敬称略)
私は昭和25(1950)年にスコットランドのエディンバラで生まれました。寄宿学校から大学まではニューカッスルで教育を受けました。大学時代は反政府運動が激しかった。ヒッピームーブメントも盛り上がっており、ロンドンのハイドパークで何週間もキャンプ生活をしたこともあります。ハイドパークでは、ビートルズとローリングストーンズが一緒に出演したコンサートも見ました。
若い頃、私は警察官になりたいと思っていました。映画の影響です。でも、視力が弱かったので警察官にはなれないことが分かりました。次に関心があったのがシェフです。料理が好きでしたから。ただ、料理を作り続けるだけでなく、ホテル全体の経営を勉強したいと思うようになり、ニューカッスル大学では、ホスピタリティ・マネジメントを専攻しました。
大学を卒業するとスコティッシュ&ニューカッスルというホテル会社に就職しました。シスル・ホテルズを展開している会社です。大学でホテル経営に関する学位を取得しましたが、入社すると清掃と皿洗いからスタートです。でも、これこそがホテル・ビジネスを学ぶ最善の方法なのです。
ホテルの現場では、いつなんどき、何が起きるか分かりません。管理職として指示を出しているだけでなく、自分自身で動かなければならないときがあります。そして、問題解決できたときこそ、部下の信頼を得られるのです。そのためには、さまざまな経験をして、ホテルの各部署の仕事ができなければならないのです。
スコティッシュ&ニューカッスルに5年勤めた後、スター・インターナショナルに転職しました。ホテルに加えて、カジノやナイトクラブを経営する会社です。私は、建物や不動産の管理に関する担当になりました。競合会社が新規の出店をすると、対抗するために新たな施設を開業していきます。さまざまな契約、工事会社の管理、さらには現場のマネージャーにインタビューをしながら店舗運営が十分に行える体制を整えていくのも私の役割でした。
この会社には5年いて、その後、独立をしました。当時、イギリスはとても不景気だったので、倒産したホテルを再生する仕事をしました。ホテルの運営を軌道に乗せて、所有する会社が売却しやすくするのです。そんな時、ブリティッシュヒルズの募集広告に出合いました。平成6(1994)年のことです。(1/9)