異文化理解教育の先駆者たち

第1回 西山和夫ハワイ大学名誉教授『正しい日本を伝えるために』

「日本に帰ったら必ず来てください」
その言葉が神田外語との出会いです

博士号は2年4カ月で取りました。月曜日から土曜日まで、早朝から深夜まで勉強をしました。友達からは「地蔵」と呼ばれていましたね。本ばかり読んで動かないからです。博士論文のテーマは日米合弁企業の研究。日米ビジネスコミュニケーションです。とてもニッチな分野だけど、西山和夫にしかできないという自負はありました。ミネソタ大学があるミネアポリスは工業都市で、後の住友3Mなど日系企業もビジネスをしていたので、研究にはちょうどよかったですね。博士論文のタイトルは『合弁企業と日本企業における意思決定のプロセスとコミュニケーション』です。

昭和45(1970)年、博士号を取った私はハワイ大学に戻り、スピーチ・コミュニケーション学科の准教授として教え始めました。この准教授時代に神田外語学院の佐野きく枝先生に出会いました。昭和51(1976)年です。当時、日本からの来客があると、学長に頼まれて通訳をしていました。あるとき、神田外語学院の先生方の一団がハワイを訪れました。ハワイでの英語教育の視察です。その一環として、大学に隣接する東西文化センター(East West Center)で研修会が行われました。ハワイ移民カンファレンスセンターの2階にある「アジアルーム」です。研修会では、通訳を引き受けて、私自身も講義を行いました。

すべての研修が終わると、佐野きく枝先生が私のもとにいらっしゃいました。そして、「日本人でありながら、アメリカの大学でスピーチの先生をしているなんて素晴らしいことです。日本に帰ったら必ず神田外語に来てください」と言っていただきました。それが神田外語との出会いです。

それから毎年、日本に帰るたびに、神田外語学院を訪れるようになりました。一度、日比谷公会堂での入学式にも呼んでいただいたことがあります。会場に行ってみると、舞台に大きな垂れ幕が掛かっていて、そこには「ハワイ大学准教授 西山和夫先生」と書いてある。席に案内されると、隣には東京外国語大学の学長の小川芳男先生、そして国会議員の鳩山威一郎先生がいらっしゃいました。私はまだ40代です。とにかく、そのスケールに驚きましたね。私自身も3000人以上の新入生たちの前で挨拶をさせていただきました。(4/8)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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