終戦から12年後の昭和32(1957)年、佐野公一は「セントラル英会話学校」を創立しました。昭和38(1963)年には東京の神田駅北口に新しい校舎を設立。この時期、夫妻の長男である佐野隆治も学校経営に参画し、昭和39(1964)年には学校名を「神田外語学院」に改名しました。
神田外語学院の英語教育には大きくふたつの特徴がありました。まず、英文秘書科や実務英語科といったコースを設け、仕事で使える英語を教えたこと。もうひとつは英語を母語とする外国人教員を大勢採用し、生きた英語に接する機会を提供したことでした。学院には、仕事で使える英語を身につけたいという想いを持った若者たちが押し寄せ、学生数は飛躍的に伸びていきました。
昭和44(1969)年、佐野公一は学校法人佐野学園を設立しました。それまで、私塾であった神田外語学院を公式な学校として法人化したのです。同年、800人の学生を収容できる新校舎(現在の本館)が完成。大勢の学生を収容する新校舎を得た学院は、商社やホテル、航空会社などの企業を訪問し、英語に関して求められている実務教育を調査しました。企業のニーズを踏まえたうえで、国際ガイド科や国際ホテル科、スチュワーデス科などの新学科を設立。学院は、語学教育と職業訓練を融合した教育を社会に提示したのです。
神田外語学院は常に、外国語学習の新しい方法を追求してきました。
新校舎はLL(Language Laboratory)教室をはじめとする視聴覚施設を完備。校内にはスタジオも設けられ、イギリスの教材会社が制作したマンガのフィルムを各クラスに放送し、英語学習に活用しました。東芝と共同で、コンピューター・システム「CAI(Computer Assisted Instruction)」も開発。ディスプレーに表示される質問の答えをタイプして英語を学ぶ画期的なシステムでした。
こういったシステムを手がけたのは当時事務長だった佐野隆治でした。
「僕は学生時代から英語が好きじゃなかった。英語が得意でない立場で、どうしたら学生たちがうまくなるかを考えた。黒板があって、先生が説明する。そんなの面白くないじゃないですか。興味がそそられて、もっと楽しく勉強できる方法はないかとずっと考えてきたわけですよ」
佐野公一・きく枝夫妻、そして佐野隆治は、英語学が専門ではありません。若者たちに必要な語学力を身につけさせたいという強い想いがあり、だからこそ既成の概念にとらわれず、新しい学習方法に挑戦できたのです。