昭和62(1987)年4月、神田外語大学が開学しました。学部は外国語学部であり、学科は英米語、スペイン語、韓国語、中国語でした。文部省に申請していたのは「国際コミュニケーション学部」。しかし、異文化コミュニケーションという新しい学問を教育の軸にした学部は前例がなく、その学部名は認められませんでした。
一方で、大学のカリキュラムには異文化コミュニケーションに関する学習がしっかりと盛り込まれました。全学科共通の「基礎教育科目」として「日本研究」「コミュニケーション」「国際理解」が組み込まれ、「日本倫理思想史」「コミュニケーション」「異文化間コミュニケーション」は必修科目となりました。
異文化コミュニケーション教育を主軸とした神田外語大学のもうひとつの特徴は、3つの研究所を設けたことでした。まず、東京・神田に本部を置いていた異文化コミュニケーション研究所を大学内に移管。加えて、「言語教育研究所」「日本研究所」を設置しました。佐野学園が永年テーマとしてきた語学教育と文化理解研究への取り組みが、神田外語大学の研究所として結実したのです。
異文化コミュニケーション研究所は、開学後も活動を展開していきました。
昭和63(1988)年からはニュースレター『異文化コミュニケーション』を発行。国内外から寄せられた小論文やオピニオン、学内外の関連のイベント情報を掲載したニュースレターは全国の大学や研究機関に送付されました。
同年度末の3月からは論文集である紀要『異文化コミュニケーション研究』の刊行がスタート。この論文集は、学外の研究者にも門戸を開き、あくまで論文の内容を重視し、若い研究者たちの論文も積極的に掲載しました。
平成3(1991)年からは、「異文研夏期セミナー」を開始しました。宿泊形式のセミナーで、国内外の一線で活躍する研究者たちの講演やグループに分かれたワークショップなどが行われました。組織を超えた研究者の交流は後に、「多文化関係学会」という新しい学会も生みました。平成4(1992)年からは、神田外語大学内でも「異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ」を行うようになり、この分野の権威であるジョン・コンドンをはじめ数多くの研究者が講演を行いました。
出版物の刊行に力を入れたのも特徴でした。『異文化コミュニケーション ? 新国際人への条件』『異文化コミュニケーション・ハンドブック』といった書籍を出版。異文化コミュニケーションを学ぶテキストを社会に提示したのです。