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50th Anniversary -Interviews-
平成2(1990)年7月、小川先生がお亡くなりになり、後任の学長には井上和子先生が就任されました。井上先生は、私と瓜谷良平先生を学長補佐として指名されました。指名の理由のひとつは、私が学校教育関係の規則に詳しかったからです。確かに文部省にいると意識しなくても規則には詳しくなりますから。学習指導要領にしても、自分が高校で教えていたときは全然気にしていませんでしたが、文部省での仕事をするとやはり詳しくなりました。
学長補佐をやっていたので委員はたくさん兼任しました。入試委員会、国際交流委員会、学務審議会、そして教職課程委員会です。退任する前には、自己点検委員会も始まりました。毎年4月の辞令公布式で、当時理事長だった、佐野隆治会長にお会いするのですが、「佐々木先生、こんなに兼任されて大変ですね」と声をかけていただきました。本当に大変だったんですよ(笑)。
井上先生は、ある学科が同じ方向を向いてくれないことで、とても苦労されていました。式典での国歌斉唱でもずいぶんと揉めました。私は学長補佐だから、そういう話し合いの場に出て、自分の立場から意見を言わせていただいた。その学科のすべての先生が反抗的な考えを持っていたわけではありません。学科のトップの先生方の考え方です。だから、あまりそういう考えを持たないその学科の先生方からはずいぶんと相談を受けました。
そもそも人と人は、考え方が合わなくて当たり前です。日本人と外国人ならなおさらです。私も外国人とはよく議論をした。さんざん話して、ときには「お前なんか辞めちまえ」と言われて、こちらも「お前こそ辞めろ」と言いましたね。でも、話が決着すれば、すっかり仲良くなる。しこりも残らない。今でも、当時そうやって議論した先生方から年賀状が来ますよ。
井上先生は、大学院の設立に力を入れました。私は、大学院設立にあたっての法律的なことを調べました。大学院が始まると、英語教育学を担当しました。学生は現役の高校の先生が多かった。先生方は授業が終わってから大学に来ていました。自分のテーマを決めさせて、そのテーマで議論をしていく。色々な意見が生まれてくる。国際理解や異文化理解を背景に持ちながら、英語を総合的に学び、考え方を養成していく。高校で実際に教えている人たちが学んでいるから、密度の濃い学習になっていきました。(9/10)