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50th Anniversary -Interviews-
佐野学園の創立者、佐野公一氏は終戦直後の東京で人々が求める必需品を製造・販売し、事業家として成功を収めました。公一氏は妻のきく枝氏とともに、生涯の夢であった人間教育を実現するべく、昭和32(1957)年に「セントラル英会話学校」を立ち上げました。この学校は後に神田外語学院となり、外国人教員による指導と先端のメディアの活用によって、日本最大の英語学校へと成長していきます。長男である佐野隆治会長が学院の成長の日々を振り返ります。
親父(初代理事長・佐野公一氏)が神田で経営していた喫茶店の裏に、「千代田予備校」という学校がありました。近所だから親しかったのでしょうね。「お茶の水に引っ越すから建物を買わないか」と持ちかけてきたそうなんですよ。親父はもともと学校をやりたかったからこの建物を買うことにしたようです。
予備校の先生や生徒も引き受けて、昼は予備校、夜は英語学校を始めました。親父とおふくろ(第2代理事長・佐野きく枝氏)は以前、貿易商を営んでいた時期もありましたから、仕事に役立つ英語ができる若者を育てたいと思っていたのでしょう。
英語学校を始めるときに、親父はまず、東京外国語大学の学長である小川芳男先生(※1)に会いに行ったんですよ。それも唐突にです。面識なんてありません。でも、親父はまったく気にしなかった。並外れた度胸があったのでしょうね。小川先生のところに行って、「英語学校をやりたいのです。どうすればよいか教えていただけないでしょうか」と頼み込んだのです。
小川先生のお弟子さんに堀江さんという方がいらっしゃった。この方に、どんな授業をすればよいか、先生はどうやって集めればよいかアドバイスしていただいた。親父は新聞で募集をかけて先生を集めました。(1/6)