神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第18回 赤澤正人神田外語大学第4代学長『国際舞台を目指す学生に道を示す』

平成16(2004)年4月、神田外語大学第4代学長に赤澤正人氏が就任しました。外務省出身の赤澤先生は、ドミニカ共和国の大使を務めるなど国際政治の一線で活躍されてきた方です。学長就任後、赤澤先生は積極的に学生たちと語り合いながら、若者たちが目指すべき高き理想を示していきました。今も神田外語大学で教鞭を執り続ける赤澤先生に、永年にわたる神田外語とのご縁と、世界の舞台を目指す若者に必要なこととは何かをお聞きしました。

私の母は東京で教師をしていたのですが、佐野きく枝先生と一緒に働いていた時期がありました。言わば、先輩先生でした。ですから私も幼い頃に、きく枝先生のお宅にお邪魔した記憶があるのです。上野の池之端だったと思います。大きな床の間があって、そこを走り回って母親に怒られた覚えがあります。

佐野公一先生は、怖いおじさんというイメージが残っています。きく枝先生もやはり厳しいけれど、母親的な厳しさですね。古きよき日本の良妻賢母、そして昔の先生という感じです。私の母もそういうタイプでした。ああゆう先生は、もうあまりいなくなってしまいましたね。

私は東京で生まれ、横浜で育ちました。中学、高校と栄光学園というミッションスクールに通いました。校長先生がドイツ人でしたし、回りにも外国人がたくさんいました。そんな環境だったので、海外への憧れもありました。国際問題、国際関係に関心が湧き、それと高校生ながらに「日本はなんて外交下手なのだろう」と思っていました。自分が外交の世界に入って何かしたいと思い、外交官を目指すようになったのです。

きく枝先生はじめ佐野家の方々とは、ずっと家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。昭和39(1964)年に私は東京大学に入りました。あるとき、外交官を目指しているということを、公一先生にお話すると、「外国語の勉強ができる学校を神田に創ったから学びに来なさい」とおっしゃっていただきました。今の神田外語学院ですね(※1)。昼間は駒場にある大学に行き、夕方から学院の夜間クラスに通い始めました。バレーボール部にも所属していましたが、できるだけ通うようにしました。(1/10)

  1. 佐野公一先生が英会話に関する事業を始めたのは昭和32(1957)年。昭和38(1963)年にセントラル米英語学院を創立し、翌昭和39(1964)年に神田外語学院に改名した。
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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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