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50th Anniversary -Interviews-
昭和53年9月に発売された『中央公論』で、公一はハワイ大学の西山和夫准教授(経営学)と対談を行っている。『若者の“波長”をつかめ』と題されたこの記事で、公一は大学教育における最初の2年間の教養課程によって、学生の心が学校からいかに離れてしまうかを指摘したうえで、こう語っている。
「生徒はどんどん逃げる。逃げれば先生も興味を失ってきて、教壇はますますさびれる。これは歎かわしいことです。それで二年経って、今度は専門をやろうとする時期になっても、二年もの空白があるわけですから、それこそ生徒の方でも波長を合わせることができない」(※4)
公一は、人々が求めるものを直感的に察知する能力を持っていた。言わば、それは「波長」を感じる力だった。神田外語学院では、英語を話すことに憧れ、世界に目を向けようとする数多くの若者たちが学んでいる。だが、大学では若者の波長をつかめずに、その可能性をつぶしてすらいるように公一の目には映ったのだろう。公一は、前出の『文藝春秋』の対談でこう語っている。
「それ(英語の潜在能力)を顕在化するのが、我々の役目ですよ。中学、高校の先生で英語を話せる人は非常に少ない。今までの日本の語学教育のありかたではしかたのないことです」「語学の教師はやはり聞く、話す、読む、書くという四つの力をすべて備えた人でなければならない。私は中学と高校の語学教師は専門学校から送り出す、という実績をつくりたいと思っているんです」(※5)
写真上:提供:池田弘一氏
写真下:オピニオン雑誌で自身の教育論を
展開する公一先生。「若者の“波長”をつか
め」(『季刊中央公論 経営問題秋季号』、
中央公論社、昭和53年9月号 より)
中学、高校の英語教員を養成したい。だが、公一の想いとは裏腹に、専修学校法が施行されたのにもかかわらず、4年制大学は専門学校からの編入は認めなかった。その現実に直面したとき、公一の心の中に大学を創りたいという想いが生じたのはごく自然なことだったと言えるだろう。(6/7)