Copyright © 2011 Kanda Gaigo Alumni Association(KGAA). All rights reserved.
神田外語大学とのご縁は、僕の恩師である相良亨先生です(※1)。神田外語大学の設立に尽力された古田暁先生と懇意にされていて、「幕張に大学を創るのだけど、誰か来られる人はいますか?」と聞かれたそうです(※2)。相良先生は、「それなら窪田くんを」と僕を推薦してくれたのです。
古田先生は、講談社インターナショナルという出版社で “Kodansha Encyclopedia of Japan(『英文日本大百科事典』)”を編集された方です。
日本で評価されていない職業のひとつに百科事典の編集長があります。僕は、大学の学長なみに大変な仕事だと思います。神田外語大学において古田先生は、僕が在籍していた一般教育のトップでしたから、たくさんお話もしたし、指導も受けました。大変に立派な方でした。もっとも、糖尿病を患っていたのに、ようかんを食べ過ぎてしまうなど、とても人間らしい一面もお持ちでした。
神田外語大学は開学した当時、卒業要件が140単位で、そのうち32単位は一般教育科目でした(※3)。ですから、一般教育の先生方が教員全体の3分の1を占めていたのです。
それと神田外語大学の場合、開学にあたり、異文化コミュニケーションを専門とする学部にしようというアイディアもあり、文部省と相談していたと聞いたことがあります。ただ、当時はカタカナの学部名は認めないという、今からは信じられない状況で、「コミュニケーション学部」を名乗ることは叶わなかったのです。
その時に集まった語学以外の先生方の多くが一般教育に在籍していました。そして、平成13(2001)年4月に国際コミュニケーション学科を設置した際、そういった先生方が必要な教員数を満たす「原資」になっていったのです。(2/8)