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昭和62(1987)年4月、千葉・幕張に神田外語大学が設立されました。その目的は、まず日本の文化を理解したうえで、外国の文化も理解し、そうした理解を踏まえて自分の意見を伝えられる若者をつくることでした。カリキュラム面で神田外語大学が従来の外国語大学と異なった点のひとつとして、「日本倫理思想史」を必修科目として位置付けたことが挙げられます。担当する窪田高明先生は開学以来、30年間にわたって神田外語の学生に日本を形成してきた思想の歩みについて教え続けてきました。副学長をはじめとする要職を務めながら、神田外語大学の教育を築いてきた窪田先生にお話をお伺いしました。(構成・文:山口剛/文中敬称略)
昭和41(1966)年4月、僕は東京大学に入学しました。当初は心理学を学ぼうと思っていましたが、東大における心理学は実験心理学や認知心理学などが中心で僕が考えていたのよりずっと理系的な学問でした。僕はどちらかといえば哲学に関心があったので、志望を変えて、文学部に進学した時には、思想系のコースを選びました。
僕は高校時代から少し登校拒否気味で、大学に入っても1、2年の時はあまり学校に行きませんでした。3年生になると大学は紛争に突入しました。僕も大多数の学生と同じく大学に反抗する側にいました。
大学紛争で授業がない時期が1年ぐらい続きましたが、徐々に授業が再開され、僕も授業に出席するようになりました。この時期に関心があったのは、倫理思想史です。人間が生きていくうえで、どういうことをよいと考え、何を重要視してきたかを考える学問です。当時の僕は、それを学ぶのが面白いと感じたのでしょう。ただ、この時はまだ学者になるという確固たる決意はありませんでした。
結局、大学に6年間在籍し、その間、「東大学力増進会」(以下、学増)で講師として教え始めます。昭和46(1971)年の夏のことだと思います。東大学力増進会は高校受験用の予備校です。東大の学生がアルバイトとして始めた団体で、東大の学生や大学院生、卒業生が講師として中学生に教えていました。研究をしながら、空いた時間で生活費を稼ぐにはちょうどよい仕事だったのです。
僕は講師の仕事だけでなく、学増の運営の仕事にも携わりました。学増に参加しているメンバーはみんな仲間でしたが、やや難しい人がたくさんいました。そのような組織の運営に携わった経験は後々、役立ちましたね。
学増での仕事を続ける一方で、大学で哲学や倫理学を教えるようになりました。昭和55(1980)年4月からは専任講師として松本短期大学で教えるようになり、その後は茨城大学や山梨大学といった国立大学でも日本倫理思想史を教えました。(1/8)