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開学後、数年間の神田外語大学は非常に面白かったですね。個性的な学生ばかりがいたように思えます。入試のデータが不足していたため偏差値もよくわからない。そのせいもあったのでしょう。かえって面白い学生が集まりました。また、英語の問題はネイティブが作成していましたから、学校の勉強をしているだけの高校生には受かりづらい試験だったかもしれません。そういった独特な内容だったからこそ、面白い学生が集まったのでしょう。
今でも行っていますが、神田外語大学では開学当初から面接試験を設けていました。面接試験のよいところは、面接の嫌な生徒は神田外語を受験しないことです。これがものすごく大きい。つまり「面接があるんだ」と思った瞬間に、真面目に受け答えするのが嫌な生徒は神田外語を受験しないのです。
「神田外語の学生は素直だ」とよく言われますが、そのひとつの理由は面接試験にあると思います。素直な生徒が集まるスクールカラーは、うちの大学にとって大きな財産になっています。
佐野隆治会長のお母様である、佐野きく枝先生のこともよく覚えています(※5)。きく枝先生は、佐野公一先生と神田外語学院を創設し、佐野会長とともに大学を開学された方です。大学開学当初、僕はまだ助教授でしたから、佐野学園のトップであるきく枝先生と親しくお話しする立場にはありませんでした。
それでも、とても厳しい方だったという印象は残っています。きく枝先生の周りにいる職員の方々は、とてもピリピリしていましたね。「ものすごく細かくて、鉛筆1本でも管理がずさんだと叱られた」と古参の職員の方がおっしゃっていたのを覚えています。
佐野会長は懐が大きい方ですから、担当を決めると予算と責任を与えて、細かいことは言いません。でも、任せきりだと予算の管理がおろそかになる場合もあります。きく枝先生は、公一先生や隆治会長を立てながらも、厳しく倹約することを課しながら、大学を建学する資金を生み出していったのでしょう。
大学運営の原資のほとんどは、学生に支払ってもらう学費です。そのお金をずさんに管理したり、一部の研究にだけ利益があるような使い方をしてよいはずはありません。きく枝先生の厳しさは当然のことであり、私たちも常にその緊張感をもって大学運営に当たらなければならないと思います。(4/8)