神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第25回 糟谷幸徳神田外語学院第7代学院長 社会の「今」に必要とされる専門学校を追究する

神田外語学院の学生数は2010年代に増加し、平成30(2018)年には近年最高の約2400人に達しました。入学者数増加の大きな原動力は、TOEIC高得点取得など英語教育の強化と4年制大学への編入学対策の本格化でした。この学院の隆盛期に経営のリーダーシップをとったのは第7代学院長の糟谷幸徳氏です。神田外語の教育理念を守りながら、業績を伸ばした経営について取材しました。(構成・文:山口剛/文中敬称略)

私は愛知県西尾市吉良町で生まれ育ちました。忠臣蔵の敵役となった吉良上野介の吉良家が治めていた土地です。私の家は、江戸時代から続く豪農の家系で、この地域にかつてあった横須賀村で代々、村長を務めていたと聞いています。戦後の農地改革で農地を小作人に解放したので、父の代になると、サラリーマンをしながら、兼業農家をしていました。

幼い頃の私は、用事を済ませに出掛ける母によく付いて行きました。印象に残っているのが銀行です。女性も男性も、てきぱき働いていて活気がある。だから、子どもの頃から漠然と「将来は銀行員になる」と思ってきました。

高校を卒業し、立教大学に進学。経済学を専攻しながら、実務的に役立つ金融論のゼミを選ぶとともに、会計学研究会で活動しました。大学在学中に税理士試験の財務諸表論と法人税法に合格し、昭和55(1980)年4月、第一勧業銀行(当時)に就職しました。ずっと、銀行で働くイメージしかなかったですね。

銀行で働く喜びはお客様に感謝されることです。融資を依頼する会社の要望を聞き、提供される資料を理解し、銀行の書式に沿って稟議(りんぎ)書を書き上げる。大学時代に学んできた会計学の知識がすぐに役立ちました。融資が実行されると感謝される。年齢が若くても、取引先の会社の社長さんは対等に扱ってくれます。

そして、さまざまな経験を積んできた経営者からたくさんのことを学べます。仕事は忙しかったですが、社会に貢献できていると実感できて、やりがいのある日々でした。その後、40代で各地の支店長を歴任していきました。

平成14(2002)年、第一勧業銀行と富士銀行、日本興業銀行が合併し、みずほ銀行が誕生しました。異なる文化を持った銀行がひとつになるわけですから、支店同士の融和も慎重に進めなければなりません。取引先の地元企業もメインバンクに誇りを持っています。経営者の交流会を統合する際には、会の名称や会長の選出など、それぞれのプライドに配慮しながら事を進めました。そして銀行員として最後に支店長を務めたのは川崎支店でした。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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