河村幹夫はニューヨーク、モントリオールでの海外駐在の後、昭和50年代の終わりに、約5年間にわたりロンドンで勤務した経験を持つ。三菱商事が出資する先物取引の会社の社長兼会長という職務である。
ロンドンに着任した当時、河村はある壁に直面した。先物取引の業界は、ギルド(同業者組合)の社会である。30社ほどの会社の社長たちが集まっては情報交換を行い、その情報をもとに自らの会社の事業を行っていく。
組合に属するのは基本的に白人の社長たちである。ひとりのインド人を除き、有色人種は河村だけである。河村はイギリスの排他的な社会を痛感した。社長たちは挨拶こそしてくれるが、何の情報も教えてくれはしない。情報が命の先物取引の世界で、彼らとコミュニケーションが成立しないのは致命的である。
河村は初心に帰った。20代の終わりに、初めて命じられたニューヨークでの海外勤務。アメリカ人と渡り合おうと必死にアメリカの歴史を学んだ。モントリオールでも、現地の取引先と家族ぐるみの付き合いをしながら、カナダの文化を学んだ。文化を学べば外国人を理解できる。河村はここロンドンでもその鉄則を実践しようとしたのである。
そんなときに出会ったのがシャーロック・ホームズだった。ギルド社会が形成されたのは19世紀の半ばから後半。ホームズの物語もまさにその時代のロンドンが舞台なのである。河村はホームズ研究こそが文化理解の糸口になると確信し、行動を始めた。
まず、シャーロック・ホームズ協会に入った。ギルド社会と同様に、表向きは誰にでも門戸を開いていたが、普通に申し込んだところで入会を拒まれるのは分かっていた。顧問弁護士に「絶対に断られない申し込みのレターを書いてほしい」と依頼し、見事に入会したのである。