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50th Anniversary -Interviews-
どうやって800人もの学生を募集するのか? 公一先生は、若者たちが生きていく武器を得るために、実用的な仕事で使える英語を使えるようにと思って、学校を始めた。それならば、今、社会に求められている英語は何なのかを調べてみようと思ったんです。
いろんな会社を回りましたね。旅行会社、貿易商社、メーカー、ホテル、航空会社。それぞれトップの会社に行きました。日本航空、全日空、東亜国内航空、交通公社、帝国ホテル、芝パークホテル、プリンスホテル……。コネクションなんてまったくありません。アポイントなしの飛び込みで、「英語学校の者ですが、どんな人材を必要としているか教えてください!」と真っ正面から入っていった。すると、意外と対応してくれるものなんです。モノの売り込みじゃないから会ってくれたんだと思いますよ。
企業からしても、自分たちの会社で使える人材を育ててくれるのであれば、協力しますよ。それぞれの業界でどんな英語が必要とされているか、またその業界で働くためにはどんなスキルを身につければいいか、とにかく聞きまくりました。話せるだけじゃなくて、書類を作成したり、専門用語を覚えたり、そういった実務もできないといけないことも分かりました。みなさん親切でしたよ。なかには、「この本を使って学生に教えるといいですよ」と本をくれる方もいらっしゃってね。そのときに会った人から学院で教えてくれることになった方もいました。卒業生にも集まってもらった。社会で働く立場から、どんな英語が必要かをざっくばらんに話してもらった。
そういったアドバイスを職員たちと議論して、新しい学科を決めていったんです。「国際ガイド科」「国際ホテル科」「スチュワーデス科」などができました。世界で仕事ができることを強調するために「国際」という言葉を頭にした学科名も多いですね。
こういった仕事を通じて、英語教育と職業教育というものが次第に融合していったんです。当時の各種学校で神田ほど「英語・プラス・ビジネス」に力を入れているのは他にはなかった。後からずいぶんとこのスタイルの学科を設ける学校は現れましたけどね。それは、神田外語学院の大きな特徴になりましたね。
その後も、神田外語学院と企業の連携はどんどん深まっていきましよ。ホテルでのインターン制度を設けたのも昭和40年代の終わりだったと記憶しています。週に3回ほど学校で学んで、あとはホテルで働く。ホテルに泊まることもできたから、全国からこのクラスを目指して若者たちがやってきました。(4/10)