神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第13回 佐藤武揚学校法人佐野学園元理事『専門学校の可能性を追求し続けて』

学院に潜り込んだ学生運動の残党なんかに
構っている暇なんかなかった

新しい学科の構想が整い、学生募集のパンフレットもできました。でも、高校生にその内容を伝えていかなければ、学生が集まるはずはありません。当時、神田外語学院のような各種学校の広報を行う会社があって、そこが全国の高校で宣伝ができるツアーを企画していたんです。そのツアーに参加して、全国の高校を回りましたね。事務長だった佐野隆治会長と手分けしました。神田外語のほかには、東京調理師専門学校や文化服装学院、日本工学院など今も続く各種学校の名門校が参加しました。

説明会に来る高校生たちはとても熱心でしたよ。1回の説明会に数百名の高校生が集まった。たいてい、1日に2回。それだけ求められていたということでしょうね。僕も、「神田に来れば、ホテルや旅行会社で使える英語を学べるよ」と熱く語りましたね。

昭和45(1970)年4月、神田外語学院の1号館が完成し、第1期生たちが入学してきました。有り難いことに定員の800名以上集まりました。入学式はサンケイホールです。翌年には2学年になり、合わせて1600名の学生が学ぶようになりました。

昭和40年代と言えば、世間では学生運動が盛んだった時代です。日米安保条約、ヴェトナム戦争、成田空港建設。学生たちに反旗を翻して、戦っていた。昭和44(1969)年には東大紛争がありました。安田講堂の屋上に立て籠る学生たちに警察隊が放水する映像は今も鮮明に記憶しています。631名もの学生が逮捕された。東京駅の辺りにも、もの凄い数の学生たちが繰り出して、デモが行われました。佐野会長とふたりで観に行った覚えがあります。野次馬ですけどね(笑)。

安田講堂の後、学生運動は下火になっていきます。学生運動の活動家の残党というのが社会人になって、今度は会社で労働運動を始める。神田外語学院も標的になりましたよ。それは、学院に大学受験クラスがあったからです。活動家たちは、予備校生を洗脳して、大学での活動につなげようとしていたんです。そんな活動家が学院にも潜り込んだんですよ。女性の職員だったんですけど、仲間を呼んで、1号館の前で座り込みをして、授業を妨害していたんです。

でも、学生運動なんかに構っていられなかったんです。だって、学生が1600人もいるんだから、時間表を作らなくちゃいけない、先生は探してこなくちゃいけない。もう、てんやわんやの忙しさですよ。だから、活動家の女性に何を言われても相手にしなかった。すると、彼女は興奮して怒って、傘で胸を突いてきたんですよ。それで、現行犯逮捕。傷害事件で神田警察に連れていかれました。それでおしまいです。本当に忙しかったら、学生運動なんてどうでもよかったんです。(5/10)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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