神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第13回 佐藤武揚学校法人佐野学園元理事『専門学校の可能性を追求し続けて』

主張を持ってしっかりと議論する
そうすると意識も少しずつ変わってくる

神田外語学院の運営、そして協会団体の仕事に力を注いできた僕にとってもうひとつの大きな仕事は大学への編入制度の実現でした。昭和51(1976)年の専修学校法の制定で、専門学校は短大と同じ扱いになるはずでした。大学にも編入できるはずだったのに、専門学校の卒業生を受け入れる大学はほとんどなかった。

おかしな話です。神田外語学院の学生たちは勉強熱心だから、もっと学びたいと大学への編入を希望しても通らない。それならばと、佐野隆治会長は、公一先生の遺志を継いで神田外語大学を設立した。でも、編入は認められない。学院の学生たちからも、同じ経営なのになぜ編入させてくれないんだという声も上がっていましたしね。

ちょうどこの頃、「ダブルスクール族」が現れました。大学に通いながら、専門学校にも行く大学生たちです。神田外語学院でも夜間クラスの4割は大学生でしたよ。それぐらい専門学校の学びは必要とされていたんです。ちょうどこの頃から、僕は、専門学校関係の協会の仕事を積極的にやるようになり、文部省にも通うようになりました。

文部省に行くと、私学関係の担当官を訪ねて、「専門学校では、求められる人材を育成するための教育をしっかりやっている。大学と同じ高等教育として認めてほしい」と言いました。週に1回は行っていたんじゃないかな。

とにかく通って、担当官に自分の考え方を伝える。でも、相手には相手の事情があるから、それも考える。立場が違えど、大事なことは、社会に貢献できる人材を育成すること。それは文部省も専門学校も共通で考えていました。だから、しっかりと議論する。そうすると意識も少しずつ変わってくるんです。

平成3(1991)年に法律が改正されて、専門学校での学びが大学での30単位まで認められるようになりました。これで編入は実現した。でも現実は厳しかった。大学が認める単位は2単位とか4単位ぐらいなんです。学術的な学びをする大学と職業に役立つ学習をする専門学校では共通の基準がないんです。比べようがない。

そこで僕は、専門学校の単位を認めてもらうのではなく、学年で認定してもらうこと提案し始めました。専門学校で2年間学んだんだから、成績が優秀であれば、大学の3年に編入できる。そういったかたちにすべきだと文部省に対して言い始めたんです。(8/10)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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