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紀要が発行された時期、私は異文研を退職し、2度目の留学のためアメリカに渡りました。研究者である夫がワシントンD.C.の研究機関に留学することになり、私も現地で博士課程を学ぶ決意をしたのです。
古田先生は、国際基督教大学のエドワード・スチュワート先生ととても親しくされていました。異文研の活動にも尽力された方です。スチュワート先生は私に「ミドリ、D.C.に行ったら、ゲーリー・ウィーバーに会いなさい」とおっしゃりました。
ウィーバー先生は異文化コミュニケーション研究の巨匠のひとりで、「コントラスト・アメリカン」という教育手法の大家です。コントラスト・アメリカンは、価値観や行動パターンなどについて、アメリカ人との「コントラスト」をつけながら教えるという手法。ひとつの事象に対してアメリカ人と他文化の人がどのような反応の違いを見せるかを学びます。
思えば、ミネソタ大学のハウエル先生、久米先生、古田先生、スチュワート先生、そしてウィーバー先生へとご縁をいただきながら、私は異文化コミュニケーションを学び続けることができました。
アメリカへふたたび留学することが決まったとき、古田先生や久米先生と一緒に異文化コミュニケーションの書籍を出版された石井敏先生から、「アメリカで異文化コミュニケーションを学ぶのはよいことです。でも、日本には日本の異文化コミュニケーションの研究や教育の在り方があるはずです。アメリカにかぶれてはいけません」と助言していただきました。とてもありがたい言葉でした。
平成元(1989)年8月、私はアメリカン大学で学び始めました。当初はSIS(School of International Service)のウィーバー先生のもとで異文化コミュニケーションを学びました。SISは国際関係論だけでなく幅広い領域の国際的なサービスを網羅していたのですが、ワシントンD.C.という土地柄、政治経済の色合いが濃く、違和感を感じていました。もっと文化的な側面にフォーカスしたいと考え、文化人類学部に移りましたが、引き続きウィーバー先生の指導のもと、異文化コミュニケーションの博士課程の学びを続けました。
研究者として留学する夫への同行という立場でしたので、アメリカで働くことのできるビザを取得できました。ワシントンD.C.は小さな街ですが、アメリカの首都なので異文化適応のトレーニング機関が数多くありました。私はメリーランド大学の米国大西洋岸中部地区日本教育センターで国際理解教育コンサルタントの職を得ました。日本の小・中学校や高校の教員がアメリカで研修や視察をする際のオリエンテーションなどを担当しました。(8/11)