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仕事のひとつに、語学指導等を行う外国青年招致事業である「JETプログラム」で日本に派遣されるALT(外国語指導助手)の出発前のオリエンテーションがありました。
数日間にわたるオリエンテーションで、昼食に幕の内弁当が出されたときのことです。ALTのなかには、箸の使い方やお弁当の食べ方が分からないアメリカ人の若者もいました。こういったアメリカ人が日本でどうやって文化に適応していくのかが心配になり、一方で関心も湧いたのです。そこで、博士論文のテーマを「ALTの異文化適応」に定めました。
平成5(1993)年9月、夫の留学期間が終了し、日本へ一時帰国しました。博士課程の単位は全て取得しましたが、博士論文は完成していません。帰国後は、夫の勤務地に伴い、生活の拠点を島根に移しました。県の国際交流センターからお声掛けいただき、ALTとの接点もでき、インタビューを重ねながら博士論文の資料を蓄積していきました。
どうしても博士論文を完成させたい。その思いから3度目の留学を決意します。当時、小学校に入学したばかりの娘と保育園児の息子を連れて、平成10(1998)年9月、ふたたびアメリカン大学に留学しました。
3度目の留学は我が子の教育を通じて異文化コミュニケーションを学ぶ機会になりました。小学校に上がったばかりの娘をサポートするために、支援のボランティアで授業に参加し、娘だけでなく、他の国籍の児童たちの支援も行うことになったのです。
また、授業で先生が児童たちに意見を求め、児童たちが次々と発言していく様子を目の当たりにしながら、議論で活発に発言をするアメリカ人のコミュニケーション能力がどのように育まれるかも理解できました。結局、子連れ留学は6年間に及び、平成16(2004)年8月に博士号を取得しました。
帰国後は島根県出雲市で暮らし始め、地域の英語教育に関わるようになりました。平成18(2006)年7月、島根大学の教育学部で教え始めました。当時、文部科学省が英語教育におけるコミュニケーションの重要性をうたい始めたことで、教育学部からお声掛けいただきました。
小学校に英語教育が導入されること、そして、異なる背景を持つ人々とのコミュニケーションが大切になるという点で、異文化コミュニケーションを専門領域とする私にもできることがあると思い、教育学部での教員の仕事をお引き受けしました。(9/11)